中国脅威論(読み)ちゅうごくきょういろん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中国脅威論
ちゅうごくきょういろん

急激に増大した経済力・軍事力を背景として、中国が世界で示すようになった大国としてのふるまい、国際社会の現状変更の試みに対する警戒論。
 国際関係論で「脅威」を論ずる場合、一般的には脅威とされる「意図」と「能力」を分析することによって判断される。しかし、これらに加えて、とりわけ中国を対象とする場合、「イメージ」としての脅威も分析対象にすべきである。かつて毛沢東(もうたくとう)が冷戦時代に「アメリカ帝国主義は張り子の虎である」「東風が西風を圧倒している」と西側を威嚇した発言や、近年では軍事演習を行って脅威イメージを相手側に与えてきたことは、外交交渉を有利に運ぶための手段であり、「脅威」は意図でも、能力でもなかったのである。今日的にいうならば、「脅威」は権力者の意図を実現するためのパブリック・ディプロマシー(広報外交)の一つといえるかもしれない。[天児 慧]

中国脅威論の登場(1990年代)

中国はいうまでもなく長い歴史と文化をもった大国であり、周辺諸国に大きな影響を与えてきた。清(しん)の時代に外国から「眠れる獅子(しし)」といわれたのはある種の潜在的な脅威を意味する表現であり、近・現代においても東南アジアにおける大量の華人の移住や「革命の輸出」は現地の人々にとって中国の脅威を意味していた。しかし、今日いわれるような「中国脅威論」は、1990年代初めころからのもので、意図、能力、イメージから分析し、その程度を計ることのできるものである。
 改革開放が進んで10年の1989年、人民解放軍によって民主化を要求する学生たちを鎮圧した中国には「怖い国」という強烈なイメージが漂った。その直後から、中国の急速な軍事力の増強がスタートした。中国の軍事力の増強は、軍事費の急増(2010年を除き1990年から2015年まで連続して前年比二桁(けた)台増)、地下核実験の再開などにみられた。南シナ海では1988年にスプラトリー諸島(南沙(なんさ)群島)での中国・ベトナム軍事衝突が起こり、1994年にはフィリピンが領有権を主張するスプラトリー諸島のミスチーフ礁(美済礁)を占拠した。その間の1992年には、尖閣(せんかく)諸島を含めた東シナ海の大半と南シナ海の大半を自らの領海とする「領海法」を一方的に全国人民代表会議(全人代)常務委員会で採択した。こうした過程で東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))を中心に中国脅威論が高まった。しかしこの時期、アメリカは無論、日本においても中国の脅威をリアルに受け止める人は多くはなかった。
 逆に、中国の視点からこの時期をみれば、ソ連・東欧社会主義諸国が崩壊し、冷戦体制が瓦解(がかい)したこと、さらに湾岸戦争が起こり、アメリカはハイテク兵器を用いてイラクのフセイン政権を短期間で屈服させたことなどによって、「アメリカ脅威」論が深刻に検討された。ソ連崩壊直後に中国が最大の社会主義大国となったことを喜ぶ党軍の保守派指導者を前に、小平(とうしょうへい)はアメリカ脅威に警鐘を鳴らし、「決不当頭」(決して先頭にたつな)、「韜光養晦(とうこうようかい)」(目だたないようにして力を蓄えよ)を核心とする「外交二十四文字指示」を出した。1990年代から2000年代の中ごろまで「平和と発展」「平和的台頭」を強調し、国際社会との平和協調路線を前面に押し出し、中国脅威論の払拭(ふっしょく)に努めたのである。[天児 慧]

中国経済プレゼンスの急上昇(2000年代)

中国指導部には、あくまで「平和と発展」「対話共存」を重視する国際協調派と、増大するパワーにふさわしい「実力主義」「対決」を主張する大国主義強硬派とが存在している。前者は胡錦濤(こきんとう)、温家宝(おんかほう)らが、後者は江沢民(こうたくみん)、軍指導部らが代表するといわれてきた。2003年に胡錦濤の外交ブレーンといわれていた鄭必堅(ていひっけん)(1932― )が「平和的台頭」論を発表したころまで国際協調派が主流をなしていたようにみえた。[天児 慧]
中国資本の海外進出
2005年ころから中国指導部は急成長した経済力をフルに活用し国際的プレゼンス(存在)を増大させた。その基本戦略は「走出去」とよばれ、世界2位の日本の3倍にも達する膨大な外貨準備高(2010年前後で3兆ドルを超える)を対外投資、経済支援に活用し、中国の成長産業の海外進出を積極的に促した。2007年に中国投資有限責任公司が政府系投資ファンドとして設立され本格的な資金運用が始まり、外国企業などを対象として大規模投資が進んだ。直接投資額を公表するようになった2003年にはわずか28億ドル程度であったのが、2011年には実に746億7000万ドルに急増している。
 輸入総額、輸出総額とも2004年に日本を超え、差は広がる一方で輸入は2014年に約2兆ドル、輸出は2兆3400万ドルを記録した。世界に占める貿易割合では、2000年から2010年の変化をみると、輸入が3.4%から9.1%へ、輸出が3.9%から10.4%へ増大し、その分、アメリカ、日本のシェアが減少している。2010年は、中国の国内総生産(GDP)が日本のそれを超えた年であり、その勢いからしてアメリカを追い抜くことも射程に入ってきたほどで、「パックス・シニカPax Sinica」(中国の力による平和)も夢ではなくなってきた感さえあった。[天児 慧]
積極外交への転換
外交安全保障面でも、2000年代は順調に推移していたようにみえた。中国とASEANの間に存在する領有権問題などでは、信頼醸成・対話によって平和的な解決を目ざすとした「南シナ海行動宣言」(DOC:Declaration on the Conduct of Parties in the South China Sea)が締結されたのも2002年であった。しかし、2006年、中国はついに軍事費が495億ドルとなり日本を抜きアジアトップになり、さらには2007年以降、海軍力の増強が目だつようになった。空母の建設もこのころから本格化していった。また海上法執行能力の向上などによって、南シナ海における中国漁船の活動の保護、監視行動強化を主張し、また領有権主張の言説(とくに「核心的利益」論など)が増え、南シナ海をめぐる緊張はふたたび高まった。
 冒頭で触れた脅威を計る一般的な指標として「能力」と「意図」のうち、まず「能力」をみると確かに、2000年代に入り、経済成長はGDPが引き続き二桁台の高成長を持続し、それと並行して軍事力も大幅に増強された。2015年の軍事費はストックホルム国際平和研究所の試算で2150億ドル(日本の約4倍)にまで膨れあがり、航空母艦の建設に示される海・空軍力の強化、核、ミサイル、サイバー兵器の開発など軍事力の増強は著しい。
 では「意図」の問題はどうか。第一に、1980~1990年代の、「平和発展」が大々的に強調されていた時期においても、すでに小平は部下であった海軍司令員(のちの軍常務副主席)の劉華清(りゅうかせい)(1916―2011)に「海軍近代化長期発展計画」の作成を命じ、そこでいわゆる第一列島線、第二列島線の勢力圏概念図をつくった。この計画によると2010年までに東・南シナ海の制海権を確保し、2020~2040年に太平洋、インド洋におけるアメリカの独占的支配の打破を目ざしている。第二に、2007年ころより党内、学界から「韜光養晦」路線を変更すべきと主張されており、2009年の外交関係者との会議で胡錦濤は一歩踏み込んだ「堅持韜光養晦」に加えて「有所作為」(なすべきことはやる)というやや強い姿勢を表明した。その後2012年の習近平(しゅうきんぺい)指導体制になって、「韜光養晦」政策はアメリカとの関係のみに維持され、他の国との間ではとらないことが明らかにされた。[天児 慧]

習近平指導体制による中国脅威(2012年以降)

習近平は2012年秋に党総書記に就任し、その直後から「中国の夢」の実現を繰り返し力説するようになった。多くの指導者が21世紀に入り繰り返し強調してきた「中華民族の偉大な復興」の実現ということであった。近代史において列強の侵略を受け凋落(ちょうらく)し、屈辱の歴史を強いられた中国が、ふたたび近代史以前の栄光を復活させるということであり、それはあらためて世界の中心を目ざす強い意志と志向を示していた。[天児 慧]
「大国外交」の推進
習近平は2014年11月末の党中央外事工作会議で、中国ははっきりと大国の風格をもち「大国外交」を実践すると力説した。彼のいう大国外交とは下記の2点から説明される。
(1)グローバルな世界においてはアメリカと中国がリードする「21世紀の新型大国関係の創造」を目ざすことである。二国間は対等で、国際諸問題を協力し平和的に解決するというのである。もともと「米中G2(ジーツー)」論は、2008年前後に元アメリカ大統領補佐官ブレジンスキーらアメリカ識者から提唱されたものであった。その時点では中国の指導者は「中国を取り込むアメリカの罠(わな)」とみて無視した。2010年代になってさらに力をつけてきた中国が、集権下の開発モデルの成功として自らを「北京(ペキン)コンセンサス」と売り込み、今度は積極的にG2を提起してきた。しかしアメリカ大統領オバマの第2期政権は第1期とは逆に強い対中警戒論をもつようになっていた。G2論の支持者であった国務長官ヒラリー・クリントンですら対中強硬派に転じていた。そうしたなかでオバマは日米同盟の強化を軸に、オーストラリア、韓国、インド、ASEAN諸国などとの安全保障強化を目ざす「アジア回帰」「リバランス(再均衡)」戦略に転じた。2009年から始まった米中二国間の安全保障・経済を論ずる「米中戦略経済対話」は続いているものの、習近平が提唱した「21世紀の創造的な大国関係の構築」は宙に浮いたままである。それどころか、アメリカは2005年に始まった環太平洋経済連携協定(TPP)に2010年に参加し、以後参加国の拡大を図り、オーストラリア、日本などを加えた広範囲な自由貿易圏を構築し、中国に対抗しようとしているようである。
(2)習近平の大国外交をリージョナルなレベルでいうなら、中国が明確にイニシアティブを発揮できる「影響圏」の構築である。もともと1997年のアジア通貨危機以来高まった東アジア共同体構想の議論は、やがて日本とのイニシアティブ争いが白熱し、実際的には空中分解した。その後、強大な経済力を背景に中国・ASEAN戦略的パートナーシップが深まり、同地域における事実上の人民元国際通貨化が進んだ。さらに中央アジアの国々と国際テロ防止や経済開発を目的に進めていた協力関係を、2001年に上海(シャンハイ)協力機構(SCO)とよぶ多国間協力組織として制度化した。やがて習近平時代に入り、アメリカとは対等な外交を、それ以外の国とは中国が上位にたつ権威的な関係を目ざしているようにみえる。
 これまでの主張からわかるように、中国は自らイニシアティブを発揮できる影響圏(「大中華圏」ともいわれる)の構築に異常なまでの熱意を注いでいるようにみえる。中国外交関係者の発言や論文で、「陸のシルクロード」とか「海のシルクロード」といった構想が散見されるようになった。2014年11月のAPEC(エーペック)(アジア太平洋経済協力)北京会議において習近平はその両者をあわせ、さらに両者が挟む広大な地域を開発し、新たな運命共同体にするといった壮大な「一帯一路」構想を提案した。しかも巨大な経済力をバックに2015年春、57か国の創設メンバーによりアジアインフラ投資銀行(AIIB)をスタートさせた。シルクロード基金、新開発銀行(BRICS(ブリックス)銀行)の旗揚げとあわせ世界に存在を強烈にアピールした。さらに従来検討されていた日中韓FTA(自由貿易協定)に加えて2011年11月より、日中、ASEANなどのイニシアティブによる東アジア地域包括的経済連携(RCEP(アールセップ))が検討されることとなった。これらの経済圏構想は、中国の意図からすれば、明らかにアメリカの「アジア回帰戦略構想」に対抗したものであり、国際的な経済新秩序の構築(対ドル基軸通貨体制の変更)を目標にしたものといえるかもしれない。
 しかし、とりわけ「一帯一路」構想は周辺諸国、関係諸国からすれば、中国指導者の思いつきの構想がいきなり天から降ってきたような代物であった。ASEANは長年の念願であったASEAN経済共同体(AEC)を2015年に正式に立ち上げた。2000年前後には、地域共同体としてのASEANの実績を日中韓が高く評価し、ASEANを将来の東アジア共同体のドライバー(原動力)にすると考えていた。しかし、今日中国がASEANに対して行っていることは、親中派を取り込み、反中派を締め付ける、実質上のASEAN分断である。しかも中国の対外援助には露骨な資源外交、「新植民地主義」といった批判も出ている。
 中国のインフラ輸出戦略もタイ、インドネシアでの高速鉄道計画の縮小、見直しなどで警戒感も高まり、決して順調なスタートをきったとはいえない。AIIBはすでに規模としてはアジア開発銀行に次ぐ組織になったが、中国の恣意(しい)的な支援など国際金融組織として大きな課題を残しており、その行方が注目されている。国際経済分野で中国脅威論が高まり始めたといえるかもしれない。[天児 慧]
中国経済減速のインパクト
国内に目を向けてみれば、2014年ころから経済成長の減速が目だち始めている。要因としては過剰投資と地方債務の急増が指摘され、それを容認した国内経済構造に問題があるとみる「新常態」論が党政府の基本的な見方になった。膨大な赤字を抱え再生困難に陥った企業(ゾンビ企業)の存在や、証券会社やヘッジファンドなどが金融仲介を行ういわゆる「影の銀行」(シャドーバンキング)による大量不良債権問題も深刻化していった。景気の悪化に加えて、賃金の高騰、統一的な法制度の不備による地方政府・企業の恣意的・不透明な圧力など「チャイナリスク」は増大しており、中国への直接投資も大幅に減速している。経済大国・中国の不透明感は「混乱の脅威」という新たな問題を世界につきつけることになった。[天児 慧]
「対中包囲網」形成の動き
習近平政権は、党総書記就任1年後の2013年10月に、前例のない重要会議と位置づけた周辺外交工作会議を開き、重要講話を行った。そのなかで、「周辺はわが国にとってきわめて重要な意義をもつ」と指摘し、基本方針として「隣国との関係をよくし、隣国をパートナーとして、隣国とむつまじくし、隣国を安んじ、隣国を富ませることを堅持し、親・誠・恵・容の理念を際だて」、「良好な周辺環境を築き、地域の共同発展を推進させる」と、「周辺」を外交政策の最優先課題に位置づけた。にもかかわらず、中国はことばとは裏腹に、周辺地域に威嚇的で強硬な外交を展開するようになった。領土・領海問題を抱える日本、ベトナム、フィリピンのみならず、その他のASEAN諸国、台湾、韓国、インドなどからも中国脅威論が浮上し、これらの国々ではアメリカとの安全保障関係を強化する動きが顕著になっており、いわゆる「対中包囲網」の形成がみられる。もちろん経済的には中国との関係がもっとも重要な国ばかりであり、「対中包囲網」は単純な対決の構図とはいえない。どのように再調整すべきなのか、今後の大きな課題となってきた。[天児 慧]
『佐藤考一著『「中国脅威論」とASEAN諸国 安全保障・経済をめぐる会議外交の展開』(2012・勁草書房)』

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