中山愛親(読み)なかやまなるちか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山愛親」の意味・わかりやすい解説

中山愛親
なかやまなるちか
(1741―1814)

江戸後期公卿(くぎょう)。いわゆる尊号一件で活躍した。正(しょう)二位権大納言(ごんだいなごん)に累進、1788年(天明8)には天皇側近職の議奏に任じた。たまたま時の光格(こうかく)天皇が、生父の閑院宮典仁(すけひと)親王に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈ろうとし、天皇の父で皇位につかずとも尊号宣下のあった先例故事を、愛親に調査せしめた。その結果、愛親は典仁親王への尊号宣下に賛意を示したので、89年(寛政1)8月、天皇はこれを幕府に通知し同意を求めた。しかし老中松平定信(さだのぶ)らの強硬な反対にあい、92年11月尊号宣下は中止となった。翌年愛親は、武家伝奏正親町公明(おおぎまちきんあきら)とともに江戸に喚問され、一件についての釈明を行ったが、幕府は愛親に閉門100日、公明に逼塞(ひっそく)50日を命じた。

竹内 誠]

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改訂新版 世界大百科事典 「中山愛親」の意味・わかりやすい解説

中山愛親 (なかやまなるちか)
生没年:1741-1814(寛保1-文化11)

江戸後期の公卿。議奏・前大納言であった愛親は光格天皇の命で,天皇でなかった者に太上天皇の尊号が贈られた例を調査するなど,〈尊号一件〉に終始かかわったが,1793年(寛政5)に幕府の要請で伝奏正親町(おおぎまち)公明と共に江戸に下り,老中松平定信の審問を受けた。その結果愛親は100日の閉門,公明は50日の逼塞となり,また職を免ぜられた。
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朝日日本歴史人物事典 「中山愛親」の解説

中山愛親

没年:文化11.8.18(1814.10.1)
生年:寛保1.5.25(1741.7.7)
江戸後期の公家。中山栄親の長男,母は勧修寺高顕の娘。明和7(1770)年8月正二位。安永3(1774)年2月権大納言に任じられたが,翌4年辞した。天明2(1782)年9月議奏。同4年権大納言に還任した。寛政1(1789)年光格天皇は,実父閑院宮典仁親王へ太上天皇の尊号宣下をすることを幕府に求めた。愛親は,光格天皇の側近として武家伝奏正親町公明と共にその折衝に当たったが,老中松平定信の反対で実現しなかった。同5年1月幕府より召喚,訊問され,3月責任を負わされ蟄居を命じられた。6月蟄居は許されたが,議奏は罷免された。<参考文献>藤田覚「寛政期の朝廷と幕府」(『歴史学研究』599号)

(藤田恒春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中山愛親」の意味・わかりやすい解説

中山愛親
なかやまなるちか

[生]寛保1(1741).5. 京都
[没]文化11(1814).8.18. 京都
江戸時代中期の公卿。権大納言栄親の次男。権大納言に進んだが安永4 (1775) 年辞官。天明8 (88) 年光格天皇の命により尊号準拠の先例を調査,その報告に基づき翌寛政1 (89) 年光格天皇が父閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとの意向を示したことから,幕府との斡旋交渉に尽力した (→尊号一件 ) が,幕府に承認されず,かえってとがめられ閉門を命じられ,同5年3月議奏の職も免じられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山愛親」の解説

中山愛親 なかやま-なるちか

1741-1814 江戸時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
寛保(かんぽう)元年5月25日生まれ。正二位,権(ごんの)大納言。天明2年議奏に任じられる。寛政元年光格天皇が父典仁(すけひと)親王に太上(だいじょう)天皇の尊号をおくることを幕府にはかったが,老中松平定信の反対でならなかった(尊号一件)。5年幕府の召喚をうけ,一件紛糾の責任をとわれ閉門100日,議奏を解任された。文化11年8月18日死去。74歳。

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367日誕生日大事典 「中山愛親」の解説

中山愛親 (なかやまなるちか)

生年月日:1741年5月25日
江戸時代中期;後期の公家
1814年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中山愛親の言及

【尊号一件】より

…江戸後期,光格天皇がその父である閑院宮典仁親王に太上天皇(譲位した後の天皇)の尊号を贈ろうとして幕府に拒否された事件。1789年(寛政1)天皇は,前大納言中山愛親(なるちか)に命じて先例を調べさせ,承久~文安年間(鎌倉・室町時代)に2例あることを根拠として,所司代を通じて尊号宣下の承認を幕府に求めた。幕府では首席老中松平定信から関白鷹司輔平に書を送り,君臣の名分を私情によって動かすべきでないとの意見を述べた。…

※「中山愛親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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