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典仁親王 すけひとしんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

典仁親王
すけひとしんのう

[生]享保18(1733).2.27. 京都
[没]寛政6(1794).7.6. 京都
閑院宮。光格天皇の父,追尊太上天皇。名は典仁,幼称は寿宮 (ひさのみや) ,号は自在王院。寛保2 (1742) 年中御門天皇の猶子 (ゆうし) となり,同3年親王宣下,翌年三品,大宰帥 (だざいのそつ) となり,寛延1 (48) 年二品,随身兵仗を賜わり,安永9 (80) 年一品に進んだ。

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デジタル大辞泉の解説

すけひと‐しんのう〔‐シンワウ〕【典仁親王】

[1733~1794]江戸中期の皇族。閑院宮第1世直仁親王の王子。光格天皇の父。明治17年(1884)慶光(きょうこう)天皇と追諡(ついし)。→尊号事件

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

典仁親王 すけひとしんのう

1733-1794 江戸時代中期-後期,光格天皇の父。
享保(きょうほう)18年2月27日生まれ。閑院宮直仁(かんいんのみや-なおひと)親王の第2王子。寛保(かんぽう)3年親王となる。宝暦3年閑院宮第2代をつぐ。寛政6年7月6日死去。62歳。生前に光格天皇が太上天皇の尊号をおくろうと幕府にはかるが,拒否され,明治17年にいたり太上天皇の尊号と慶光(きょうこう)天皇の諡号(しごう)が追贈された。⇒慶光天皇(きょうこうてんのう)

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朝日日本歴史人物事典の解説

典仁親王

没年:寛政6.7.6(1794.8.1)
生年:享保18.2.27(1733.4.11)
江戸中期の皇族。閑院宮直仁親王の第2王子,母は家女左衛門佐。閑院宮第2代。光格天皇の実父。寿宮と称す。寛保2(1742)年3月12日桜町天皇の猶子となる。同3年9月4日親王宣下。寛延2(1749)年9月28日二品。安永9(1780)年12月7日光格天皇の即位に際し一品に叙せられた。親王在世中,光格天皇は先例に基づき,父の親王を太上天皇とするよう幕府へ働きかけたが,老中松平定信の強硬な反対にあい実現しなかった。尊号事件である。明治17(1884)年3月19日親王没後90年に当たって,太上天皇の尊号と慶光天皇の諡号が贈られた。

(藤田恒春)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

すけひとしんのう【典仁親王】

1733‐94(享保18‐寛政6)
閑院宮直仁親王の王子で,東山天皇の皇孫にあたる。同宮第2代を継承。1743年(寛保3)親王宣下,翌年元服して大宰帥に任ぜられ,帥宮とよばれた。妃は中御門天皇の皇女成子内親王。光格天皇の実父にあたり,天皇は後高倉院(守貞親王),後崇光院(貞成親王)の先例によって父親王を太上天皇として尊崇しようとし,このため89年(寛政1)以来朝幕間で交渉が行われた。しかし幕府では老中松平定信が名分論をとって終始賛成しなかったため,この議は遂に成らず,93年このことに関与した議奏中山愛親武家伝奏正親町公明が幕府から処罰されて終結をみた。

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大辞林 第三版の解説

すけひとしんのう【典仁親王】

1733~1794) 江戸中期の皇族。閑院宮第二代。直仁親王の王子。光格天皇の父。1884年(明治17)慶光天皇と追号された。 → 尊号事件

出典|三省堂
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