朝日日本歴史人物事典 「中村直三」の解説
中村直三
生年:文政2.3.8(1819.4.2)
奈良専二,船津伝次平とならぶ明治三老農のひとり。大和国山辺郡永原村(天理市)に善五郎の子として生まれる。生家は曾祖父の代に零落,父は奈良奉行所の夜警番。彼もその仕事を継ぎ暮らしをたてる。少年時代,隣の長柄村の寺子屋に学び頭角を現し,長じるにおよび石門心学を修め,その普及にも尽くした。農事改良に取り組んだのは安政3(1856)年永原村に農民騒動が起きたころからで,貢租の過重に不満を持つ農民に,農事を改良し生産を高める方法を説いた。文久3(1863)年から稲の優良種を集めて比較試験を行い,さらに優れた品種を発見する独自の品種改良法を研究,その結果を心学仲間を通じて普及させた。維新後大和国の各藩から委嘱されて農事改良の巡回指導を続け,講話の巧みさもあって広く知られた。明治8(1875)年奈良県雇となり植物試作掛を担当,かたわら内務省配布のアップランド棉の栽培にも当たる。同年秋棉の試作株を勧農寮に届けるため上京,津田仙にも会い視野を広げる。10年秋田県に招かれ,稲種の試験,腐米改良に尽力,また石川理紀之助らの指導に当たる。同年第1回内国勧業博覧会に321種の稲種とその実験表を出品,受賞。11年秋田県を辞し帰郷したが,その後宮城,堺,石川,大阪の各府県に招かれ農事を指導した。コレラに罹り64歳で没した。著書に『伊勢錦』(1865),『種子精選改良法』(1881)などがある。<参考文献>安田健「中村直三と農事改良事蹟」(『日本農業発達史』2巻),大島清他「老農の群像」(『明治のイデオローグ』)
(田口勝一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報