中村直三 (なかむらなおぞう)
生没年:1819-82(文政2-明治15)
明治前期の三老農の一人。大和国(奈良県)の人。初め石門心学を学び道話家として活躍したが,1856-59年(安政3-6)に起きた居村永原村の農民騒擾(そうじよう)に会し,後半生を農事改良に尽くす。なかでも奈良県内に110余の支部試験田をもつイネ品種の比較試験組織を創設したことは特筆される。公職としては奈良県植物試作係,秋田県勧業掛,宮城県勧業御用掛,堺県勧業掛など。石川理紀之助は秋田時代の直三に指導を受けた。著書に《勧農微志》《気養い楽なづくし》《撰種交換創始概略書》などがある。
執筆者:安田 健
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中村直三 なかむら-なおぞう
1819-1882 江戸後期-明治時代の農村指導者。
文政2年3月8日生まれ。大和(奈良県)の人。奈良奉行所の夜警番人小頭部長をつとめる。心学をまなび,農事改良,とくに稲の選抜による品種改良とその普及につくす。明治8年奈良県植物試作掛。のち秋田・宮城・石川県など各地の稲作を指導した。明治15年8月13日死去。64歳。著作に「勧農微志」など。
【格言など】わが志は全国の農事改良にあり(郡山藩の招きを拒否して)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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中村直三
なかむらなおぞう
[生]文政2(1819).3.8. 奈良
[没]1882.8.12.
明治時代の篤農家。「わが志は全国の農事改良にあり」を念願として生涯をひたすら稲種の改良,植桑養蚕,綿種の改良などに捧げ,特に奈良県の試験田で各地の稲種を試育し,成果を紹介した。明治初年代には近在の耕作地を調査して回り,高租に悩む各村の意向をまとめて減租を知事に要求したこともある。植物試作係員として北陸各県の農業指導に活躍した。主著『勧農微志』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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中村直三【なかむらなおぞう】
明治三老農の一人。大和の人。幕末以来イネの品種改良に着手,《勧農微志》を著す。奈良,秋田,宮城などの勧業掛を勤め,試験田の優良イネ種を無償配布。各地で農談会を開き農業改良を推進した。→老農
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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中村 直三 (なかむら なおぞう)
生年月日:1819年3月8日
江戸時代;明治時代の農事改良家
1882年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の中村直三の言及
【老農】より
…また[農会]をつうじて老農の優れた経験的な技術の深化と普及が進むなど,明治農法の基礎が固まった。 著名な老農には,イネの品種改良や耕種改善に功のあった[中村直三]や[奈良専二],勧農社を組織して馬耕教師と抱持立犂(かかえもちたちすき)を全国にひろめた[林遠里],駒場農学校から農商務省の巡回教師となった[船津伝次平],勤倹力行を鼓吹した[石川理紀之助]などがおり,とくに中村,船津,奈良(あるいは林)を明治三老農という。しかし老農も,90年代に農科大学や農事試験場などが整備され,近代的な輸入農学が消化されると,しだいに活躍の場も狭くなっていった。…
※「中村直三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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