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中村研一 なかむら けんいち

美術人名辞典の解説

中村研一

洋画家。福岡県生。弟は洋画家中村琢二鹿子木孟郎に師事した後、上京して岡田三郎助教室で学ぶ。東美校卒。帝展で連続特選を受け活躍。戦後は、婦人像・裸婦像の作家として知られた。日本芸術院会員。日展理事。サロン=ドートンヌ会員。帝国美術院賞受賞。昭和42年(1967)歿、72才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中村研一 なかむら-けんいち

1895-1967 大正-昭和時代の洋画家。
明治28年5月14日生まれ。中村琢二(たくじ)の兄。鹿子木孟郎(かのこぎ-たけしろう),岡田三郎助にまなぶ。大正9年帝展に初入選。フランス滞在中,サロン-ドートンヌ会員となる。昭和6年帝国美術院賞。25年芸術院会員。昭和42年8月28日死去。72歳。福岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「弟妹集ふ」「コタ・バル」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中村研一
なかむらけんいち
(1895―1967)

洋画家。福岡県生まれ。京都で鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)に師事ののち、東京美術学校に入り、岡田三郎助(さぶろうすけ)教室で学ぶ。1920年(大正9)同校を卒業して第2回帝展に出品、翌年帝展で特選、ついで無鑑査となる。23~28年(昭和3)滞仏、サロン・ドートンヌ会員。帝展で特選を重ね、30年第11回帝展に『弟妹集う』を出品、帝国美術院賞を受賞する。また『コタバル(上陸作戦)』(1942)で朝日文化賞を受賞。第二次世界大戦後は日展の審査員、常務理事となり、50年(昭和25)日本芸術院会員となる。[小倉忠夫]

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