中村研一(読み)ナカムラ ケンイチ

20世紀日本人名事典 「中村研一」の解説

中村 研一
ナカムラ ケンイチ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治28(1895)年5月14日

没年
昭和42(1967)年8月28日

出身地
福岡県宗像郡南郷村光岡(現・宗像市)

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科本科〔大正9年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝展特選(第3回・第9回)〔大正12年 昭和3年〕「涼しきひま」「裸体」,帝国美術院賞(第11回)「弟妹集ふ」

経歴
大正3年京都に出て鹿子木孟郎の内弟子となったが、4年上京、東京美術学校に入学。9年第2回帝展で「萄葡の葉蔭」が初入選、11年大正博覧会で「若き画家」3等賞、12年第3回帝展「涼しきひま」が特選となった。13年渡仏、昭和2年サロン・ドートンヌ会員。3年帰国。同年第9回帝展で「裸体」が特選、同11回展「弟妹集う」が帝国美術院賞を受賞。4年戦艦「三笠」司令官中村正奇少将の長女・富子と結婚。同年光風会会員、6年以後帝展、文展各審査員。12年軍艦で訪英。戦時中は戦争画の名作といわれる「コタ・バル」や「安南に憶う」などを描いた。20年5月戦災により東京・代々木の自宅とアトリエが全焼小金井転居戦後日展出品、妻をモデルとした婦人像裸婦を描き、日展審査員、日展常務理事などを務めた。25年日本芸術院会員。時評随筆もよくし、共著に「絵画見方」がある。平成元年小金井市に中村研一記念美術館が建設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村研一」の意味・わかりやすい解説

中村研一
なかむらけんいち
(1895―1967)

洋画家。福岡県生まれ。京都で鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)に師事ののち、東京美術学校に入り、岡田三郎助(さぶろうすけ)教室で学ぶ。1920年(大正9)同校を卒業して第2回帝展に出品、翌年帝展で特選、ついで無鑑査となる。23~28年(昭和3)滞仏、サロン・ドートンヌ会員。帝展で特選を重ね、30年第11回帝展に『弟妹集う』を出品、帝国美術院賞を受賞する。また『コタバル(上陸作戦)』(1942)で朝日文化賞を受賞。第二次世界大戦後は日展の審査員、常務理事となり、50年(昭和25)日本芸術院会員となる。

[小倉忠夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村研一」の解説

中村研一 なかむら-けんいち

1895-1967 大正-昭和時代の洋画家。
明治28年5月14日生まれ。中村琢二(たくじ)の兄。鹿子木孟郎(かのこぎ-たけしろう),岡田三郎助にまなぶ。大正9年帝展に初入選。フランス滞在中,サロン-ドートンヌ会員となる。昭和6年帝国美術院賞。25年芸術院会員。昭和42年8月28日死去。72歳。福岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「弟妹集ふ」「コタ・バル」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中村研一」の解説

中村 研一 (なかむら けんいち)

生年月日:1895年5月14日
大正時代;昭和時代の洋画家
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android