DNAやタンパク質といった生体高分子の進化にあずかる突然変異の多くは,自然淘汰とほとんど無関係(中立)であるという説。各種の生物のDNAの塩基配列やヘモグロビン,チトクロムcなどのタンパク質のアミノ酸配列を比較検討し,これら分子の構造変化の面から生物進化を探る分子進化の研究が1960年代以後急速に発展した。構造変化の多くは塩基対,アミノ酸の置換であり,重複,欠失なども起こっている。分子レベルでの進化の速度,つまり塩基対の置換が起こる速度はタンパク質によって異なり,またタンパク質のうち機能上重要な部位では遅く,そうでない部位では速い。しかし同じタンパク質をいろいろな系統で比較するとあまり差がなく,一定の速度で進化している。この分子進化の機構として進化,つまり置換の大部分は自然淘汰によってではなく,淘汰に有利でも不利でもない中立の突然変異が機会的浮動によって集団中に蓄積,固定することによって起こるという説が木村資生(1968),J.L.キングとT.H.ジュークス(1969)によって提唱された。これが中立説であり,キングらはnon-Darwinian evolutionという語句も用いた。この説が起こってきた歴史的背景には,分子遺伝学の発達のほかに,当時集団遺伝学でそれまでの遺伝的荷重の理論と相反するほど多量の多型的なアイソザイム変異が見つかってきていたという事実もあり,中立説はそれら多型も,中立突然変異と機会的浮動によって維持されうるという説明を与えるものであった。この説は自然淘汰を中心とするこれまでの遺伝進化学の考えと相入れない面ももっていたため,当初論争を巻き起こしたが,これまでの進化学が考えていた生物の機能や形態の変化という進化の面で自然淘汰の果たしている役割を否定するものでなく,塩基対やアミノ酸の配列の変化という分子レベルでの進化においては,自然淘汰によって起こっている変化よりも,中立な突然変異が機会的浮動によって固定して生じる変化の方が数の上で多いということである。
執筆者:大西 近江
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(垂水雄二 科学ジャーナリスト / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
… 分子生物学の成立と発展は,分子進化の研究を進化学の重要な分野として確立した。その成果として生まれた木村資生(もとお)の中立説(1968)は,自然淘汰万能の観念に問題を投じ,衝撃を与えるものとなった。またその後,自然淘汰によって新種の起原となるほどの新たな形質が生じうるか,進化の経過は果たしてダーウィン説でいうような連続的,漸次的なものであるかなどに関して,現代科学の成果をふまえた問題提起がなされ,進化学説への根本的再検討の気運が強まっている。…
… 突然変異は生物の遺伝的変異を維持・増加する機構の一つである。ところで,生物の進化の原動力が自然淘汰であるとするダーウィン以来の考えに対して,木村資生は,生物集団内に蓄積されている遺伝的変異のほとんどには,淘汰に対する有利不利という差がほとんどないという知見に基づいて,進化の原動力は遺伝子の機会的浮動であるという中立説を唱えた(1968)。分子レベルでの研究成果も中立説と矛盾しないものが多いことから,近年,この説は大きく注目されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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