中部幾次郎(読み)ナカベ イクジロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中部幾次郎」の解説

中部 幾次郎
ナカベ イクジロウ


肩書
貴院議員(勅選),林兼商店創立

生年月日
慶応2年1月4日(1866年)

出生地
兵庫県明石市

経歴
年少から鮮魚運搬業に従事。明治38年わが国初の発動機船を開発し、その利用で日本海、朝鮮海域の漁場開拓、機船底曳網漁業進出。大正7年土佐捕鯨を買収、14年林兼商店(大洋漁業前身)を設立、台湾漁業、蟹工船経営、さらに造船鉄工業も兼営した。昭和11年には大洋捕鯨、17年西大洋漁業統制会社、18年林兼重工業を設立、日本水産や日魯漁業と並ぶ総合水産会社に発展させた。5〜18年下関商工会議所会頭を務め、戦後の21年勅選貴族院議員

没年月日
昭和21年5月19日

家族
長男=中部 兼市(大洋漁業社長) 二男=中部 謙吉(大洋漁業社長) 三男=中部 利三郎(大洋漁業副社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「中部幾次郎」の解説

中部 幾次郎
ナカベ イクジロウ

明治〜昭和期の実業家 林兼商店創立者。



生年
慶応2年1月4日(1866年)

没年
昭和21(1946)年5月19日

出生地
播磨国明石東魚町(兵庫県明石市)

経歴
年少から鮮魚運搬業に従事。明治38年わが国初の発動機船を開発し、その利用で日本海、朝鮮海域の漁場を開拓、機船底曳網漁業に進出。大正7年土佐捕鯨を買収、14年株式会社林兼商店(大洋漁業の前身)を設立、台湾漁業、蟹工船経営、さらに造船鉄工業も兼営した。昭和11年には大洋捕鯨、17年西大洋漁業統制会社、18年林兼重工業を設立、日本水産や日魯漁業と並ぶ総合水産会社に発展させた。20年12月大洋漁業と改称。また5〜18年下関商工会議所会頭を務め、戦後の21年勅選貴族院議員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「中部幾次郎」の意味・わかりやすい解説

中部幾次郎【なかべいくじろう】

漁業家。1880年兵庫県明石で海産物商の林兼商店を営み,1905年日本最初の石油発動機付鮮魚運搬船を建造,朝鮮近海に活躍し大をなした。1916年漁船発動機を製造する会社を設立するとともに漁業に進出,以来,近代的漁法を採り入れ底引や捕鯨・北洋漁業などを営み,1936年日本初の国際捕鯨母船をつくり,船団で南氷洋捕鯨を展開。1945年に日本最大の水産会社となる太洋漁業(マルハ)に改称。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中部幾次郎」の解説

中部幾次郎 なかべ-いくじろう

1866-1946 明治-昭和時代の実業家。
慶応2年1月4日生まれ。家業の鮮魚の買い付け・運送業をつぎ,大正13年林兼(はやしかね)商店(現マルハ)を創立。関連事業の多角化をはかり,大洋捕鯨,西大洋漁業統制などを設立した。貴族院議員。昭和21年5月19日死去。81歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。

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367日誕生日大事典 「中部幾次郎」の解説

中部 幾次郎 (なかべ いくじろう)

生年月日:1866年1月4日
明治時代-昭和時代の実業家
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中部幾次郎の言及

【マルハ[株]】より

…日本最大の水産会社。中部(なかべ)幾次郎が1880年に兵庫県明石に設立した鮮魚仲買運搬業の林兼商店がその前身。1905年には日本初の石油発動機付鮮魚運搬船〈新生丸〉(12トン,速力6ノット)を建造し,国内のみならず朝鮮からも鮮魚を運搬した。…

※「中部幾次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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