丸木俊(読み)まるきとし

百科事典マイペディア 「丸木俊」の意味・わかりやすい解説

丸木俊【まるきとし】

洋画家本名俊子旧姓赤松。北海道生れ。女子美術専門学校(現,女子美術大学)卒業後,千葉県の小学校代用教員となる。1941年に丸木位里(いり)と結婚。1953年に夫と協同制作した《原爆の図》で国際平和賞ゴールド・メダル賞を受賞。なお,1945年8月6日に広島,さらに同月9日に長崎へ原爆が投下されるが,その数日後に疎開先から位里,続いて俊が広島に入っており,3年後に《原爆の図》の制作を開始することになる。その他の協同作品として《南京大虐殺の図》《アウシュビッツの図》《水俣の図》《沖縄戦の図》などがある。1967年には埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館を開設し,反戦・平和運動を続けた。単独作の絵本として《ひろしまピカ》がある。なお,《原爆の図》は第1部〈幽霊〉から第15部〈長崎〉までの15部からなり,長崎原爆資料館に寄贈された第15部を除き,原爆の図丸木美術館で常設展示されている。→原子爆弾

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸木俊」の解説

丸木俊 まるき-とし

1912-2000 昭和-平成時代の洋画家。
明治45年2月11日生まれ。丸木位里(いり)の妻。原爆投下直後の広島を体験。夫とともに昭和23年から「原爆の図」をえがきはじめ,52年までに全15部を完成させる。その間の27年国際平和文化賞受賞。作品はほかに「水俣の図」「沖縄戦の図」,絵本「ひろしまのピカ」,自伝「女絵かきの誕生」など。平成12年1月13日死去。87歳。北海道出身。女子美術専門学校(現女子美大)卒。旧姓は赤松。本名は俊子。

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