日本歴史地名大系 「丹生寺跡」の解説
丹生寺跡
たんじようじあと
丹生山頂にあった寺院で、近世には
南北朝期、西摂山地の山岳寺院の多くが城として利用されていったように当寺も南朝方の拠点となり、建武三年(一三三六)一〇月日付の島津忠兼軍忠状(越前島津家文書)の「今月廿日於丹生寺合戦」から、暦応三年(一三四〇)「四月二日、摂津国丹生山田丹生寺之凶徒御退治」まで(年月日未詳「肥塚範重軍忠状案」肥塚家蔵広峯神社文書)、数回にわたって北朝方の攻撃を受けている。
丹生寺跡
にゆうでらあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報