精選版 日本国語大辞典 「丹生都比売神社」の意味・読み・例文・類語
にうつひめ‐じんじゃ【丹生都比売神社】
にぶつひめ‐じんじゃ【丹生都比売神社】
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〈大和・紀伊寺院神社大事典〉
丹生都比売神は「播磨国風土記」逸文にみえる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
和歌山県伊都(いと)郡かつらぎ町上天野(かみあまの)に鎮座。丹生都比売大神を主祭神とし、高野御子大神(こうやのみこのおおかみ)、大食都比売(おおげつひめ)大神、市杵島比売(いちきしまひめ)大神を配祀(はいし)するので丹生四所(ししょ)明神ともいう。天野(あまの)神社とも称される。丹生都比売大神は皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の母神にあたり、『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』逸文によれば、神功(じんぐう)皇后の新羅(しらぎ)平定のおり大神の神託で勝利を収めることができたので、皇后が当社の旧鎮座地、紀伊国管川藤代之峯(つつかわふじしろのみね)(高野町)に鎮祭したとある。またこの神を祀(まつ)った天野祝(はふり)(のち丹生祝)の名は『日本書紀』神功皇后の条にもみられる。883年(元慶7)従(じゅ)四位上に昇階、『延喜式(えんぎしき)』神名帳に名神大社と登載されている古社。高野山(こうやさん)は、もとこの神の領地であったのを、816年(弘仁7)空海の奏請により金剛峯寺(こんごうぶじ)が開創され、丹生都比売大神と高野御子大神は丹生両所として高野山の地主神となった。蒙古(もうこ)襲来に際して霊験著しく、その功により社領を寄進された。旧官幣大社。例祭10月16日。1月14日の御田(おんだ)祭は有名。本殿と楼門は国の重要文化財に指定され、国宝の銀銅蛭巻太刀拵(ひるまきたちごしらえ)のほか、国重要文化財の金銅琵琶(びわ)、木造狛犬(こまいぬ)四対、神輿(みこし)など、社宝は多い。
[菟田俊彦]
『黒川春村写本、菟田俊彦編『祝詞大成 丹生大明神告門』(1978・以学堂)』
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野に鎮座。第一殿に丹生都比売大神,第二殿に高野御子(たかのみこ)大神,第三殿に大食津比売(おおげつひめ)大神,第四殿に市杵島比売(いちきしまひめ)大神をまつる。一般に天野(あまの)神社といい,また丹生神社,天野四社,丹生高野明神とも称した。創建年代不詳。丹生都比売大神は天照大神の妹神で,高野御子神はその御子神といい,一説に神功皇后の三韓遠征にあたり神験あって,丹生都比売大神を当地に奉斎したのが創建といい,第三殿,第四殿は1208年(承元2)高野山の行勝上人が神託をうけ,それぞれ気比神,厳島神を勧請したものという。神階は859年(貞観1)従四位下,883年(元慶7)従四位上。延喜の制で名神大社,月次,新嘗の官幣を奉られた。高野山に近く,816年(弘仁7)空海の開山以降,その山の地主神,真言密教の守護神とされ,社領は金剛峯寺領となり,いっさいの経費は同寺により出されたこともあったが,蒙古襲来にあたって1281年(弘安4)後宇多天皇が敵国降伏を祈願し,1310年(延慶3)天下泰平異国降伏祈禱所としたころより,独自の社領をもち,近世には社領500石を有した。明治維新でそれまでの鐘楼,護摩所等神仏習合的建物を除いた。旧官幣大社。例祭10月16日。
執筆者:鎌田 純一
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