丹生都比売神社(読み)にうつひめじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「丹生都比売神社」の意味・読み・例文・類語

にうつひめ‐じんじゃ【丹生都比売神社】

和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社。旧官幣大社。祭神は丹生都比売神高野御子神、大食都(おおげつ)比売神・市杵島比売神。天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が丹生都比売神を奉祀したのに始まると伝える。にぶつひめじんじゃ。天野大社。

にぶつひめ‐じんじゃ【丹生都比売神社】

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デジタル大辞泉 「丹生都比売神社」の意味・読み・例文・類語

にうつひめ‐じんじゃ〔にふツヒメ‐〕【丹生都比売神社】

和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。旧官幣大社。祭神は丹生都比売大神ほか三神。平成16年(2004)「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産文化遺産)に登録された。天野あまの大社。天野四社明神。丹生四社明神。

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日本歴史地名大系 「丹生都比売神社」の解説

丹生都比売神社
にうつひめじんじや

[現在地名]かつらぎ町上天野

上天野かみあまのおくさわなかさわの中間、高野こうや街道に沿い、四周を小川と沼・池に囲まれた森に鎮座。祭神は第一殿が丹生都比売大神、第二殿が高野御子たかのみこ大神、第三殿が大食都比売おおげつひめ大神、第四殿が市杵島比売いちきしまひめ大神。「延喜式」神名帳にみえる伊都いと郡「丹生都比女神社名神大、月次新嘗」にあたり、天野明神(天野社)丹生四所にうししよ明神ともいう。旧官幣大社。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔祭神〕

丹生都比売神は「播磨国風土記」逸文にみえる爾保都比売にほつひめ命のこととされ、同書によれば神功皇后三韓出兵のとき、爾保都比売命の神託で勝利が得られたため、「紀伊国管川藤代之峯」に同神を鎮祭したという。管川つつかわ藤代ふじしろの峯は現和歌山県高野町上筒香かみつつがの東に比定され、丹生川の水源地にあたる。当社の旧鎮座地と考えられ、水をつかさどる神であったと推察される。藤代の峯から天野へ移された経緯は明らかでない。一方、「丹生大明神告門」によると、丹生都比売神は伊弉諾いざなぎ命・伊弉冊いざなみ命の子で、「伊都郡奄太村」に降臨、吉野丹生川上よしのにうかわかみの峯に上り、その後紀伊・大和の山々や水辺に遷幸して田を作り、天野の原の常世宮に鎮座したという。同告門はいわゆる「延喜式」に収録された祝詞ではなく、平安時代以降の伝来である。丹生都比売神の神階は「三代実録」貞観元年(八五九)正月二七日条に従四位下、元慶七年(八八三)一二月二八日条に従四位上とみえる。この神を祀っていたのが天野祝(丹生祝)で、「日本書紀」神功皇后摂政元年二月条に、天野の祝と小竹しのの祝を同所に葬ったため、昼も夜のように暗くなった話がみえる。延暦一九年(八〇〇)九月一六日の奥書のある「丹生祝氏本系帳」では丹生祝の祖は天魂命で、紀伊氏の始祖神魂命の系統を引くとされている。

〔高野山開創伝説と丹生高野明神〕

空海が高野山を開いたのは、丹生都比売神が巫祝に託宣してその神領を空海に譲ったことによるといわれる。弘法大師(空海)の「御遺告」に

<資料は省略されています>

とみえ、この神領の範囲は御手印縁起とともに高野山が寺領を主張する際の根拠となっている。「弘法大師伝」などによると、空海を高野山に案内したのは黒白二頭の犬を連れた「南山之犬飼」と称する狩人であった。この狩人が高野明神(高野御子大神)の化身とされ、狩場かりば明神とも称された。「丹生祝氏本系帳」によると、天野祝である丹生氏はもと狩人で神の贄をとるため二頭の犬を連れて狩をしていたという伝承があり、これが高野山開創伝説にとり入れられたものと考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹生都比売神社」の意味・わかりやすい解説

丹生都比売神社
にうつひめじんじゃ

和歌山県伊都(いと)郡かつらぎ町上天野(かみあまの)に鎮座。丹生都比売大神を主祭神とし、高野御子大神(こうやのみこのおおかみ)、大食都比売(おおげつひめ)大神、市杵島比売(いちきしまひめ)大神を配祀(はいし)するので丹生四所(ししょ)明神ともいう。天野(あまの)神社とも称される。丹生都比売大神は皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の母神にあたり、『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』逸文によれば、神功(じんぐう)皇后の新羅(しらぎ)平定のおり大神の神託で勝利を収めることができたので、皇后が当社の旧鎮座地、紀伊国管川藤代之峯(つつかわふじしろのみね)(高野町)に鎮祭したとある。またこの神を祀(まつ)った天野祝(はふり)(のち丹生祝)の名は『日本書紀』神功皇后の条にもみられる。883年(元慶7)従(じゅ)四位上に昇階、『延喜式(えんぎしき)』神名帳に名神大社と登載されている古社。高野山(こうやさん)は、もとこの神の領地であったのを、816年(弘仁7)空海の奏請により金剛峯寺(こんごうぶじ)が開創され、丹生都比売大神と高野御子大神は丹生両所として高野山の地主神となった。蒙古(もうこ)襲来に際して霊験著しく、その功により社領を寄進された。旧官幣大社。例祭10月16日。1月14日の御田(おんだ)祭は有名。本殿と楼門は国の重要文化財に指定され、国宝の銀銅蛭巻太刀拵(ひるまきたちごしらえ)のほか、国重要文化財の金銅琵琶(びわ)、木造狛犬(こまいぬ)四対、神輿(みこし)など、社宝は多い。

[菟田俊彦]

『黒川春村写本、菟田俊彦編『祝詞大成 丹生大明神告門』(1978・以学堂)』


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改訂新版 世界大百科事典 「丹生都比売神社」の意味・わかりやすい解説

丹生都比売神社 (にゅうつひめじんじゃ)

和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野に鎮座。第一殿に丹生都比売大神,第二殿に高野御子(たかのみこ)大神,第三殿に大食津比売(おおげつひめ)大神,第四殿に市杵島比売(いちきしまひめ)大神をまつる。一般に天野(あまの)神社といい,また丹生神社,天野四社,丹生高野明神とも称した。創建年代不詳。丹生都比売大神は天照大神の妹神で,高野御子神はその御子神といい,一説に神功皇后の三韓遠征にあたり神験あって,丹生都比売大神を当地に奉斎したのが創建といい,第三殿,第四殿は1208年(承元2)高野山の行勝上人が神託をうけ,それぞれ気比神,厳島神を勧請したものという。神階は859年(貞観1)従四位下,883年(元慶7)従四位上。延喜の制で名神大社,月次,新嘗の官幣を奉られた。高野山に近く,816年(弘仁7)空海の開山以降,その山の地主神,真言密教の守護神とされ,社領は金剛峯寺領となり,いっさいの経費は同寺により出されたこともあったが,蒙古襲来にあたって1281年(弘安4)後宇多天皇が敵国降伏を祈願し,1310年(延慶3)天下泰平異国降伏祈禱所としたころより,独自の社領をもち,近世には社領500石を有した。明治維新でそれまでの鐘楼,護摩所等神仏習合的建物を除いた。旧官幣大社。例祭10月16日。
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百科事典マイペディア 「丹生都比売神社」の意味・わかりやすい解説

丹生都比売神社【にゅうつひめじんじゃ】

正しくは〈にぶつひめ〉。和歌山県かつらぎ町に鎮座。旧官幣大社。高野山の地主神である丹生都比売神をまつる。神功皇后の時の鎮祭と伝える。延喜式内の名神大社とされる。社殿が四つあるので天野(あまの)大社・丹生四社(にうししゃ)明神ともいわれる。例祭のほか御田祭が知られる。本殿・宮殿,狛犬四対,村上天皇寄進状などの文化財がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丹生都比売神社」の意味・わかりやすい解説

丹生都比売神社
にうつひめじんじゃ

和歌山県かつらぎ町に鎮座する元官幣大社。天野神社,天野四社明神,丹生四社明神ともいう。祭神はニウツヒメガミ,タカノノミコガミ,オオゲツヒメ,イチキシマヒメノミコトで,4社殿にまつられている。例祭 10月 15~16日。平安時代後期の『銀銅蛭巻太刀拵』 (国宝) を伝える。

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デジタル大辞泉プラス 「丹生都比売神社」の解説

丹生都比売(にうつひめ)神社

和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。延喜式内社。祭神は丹生都比売大神、高野御子(たかのみこ)大神、大食津比売(おおげつひめ)大神、市杵島比売(いちきしまひめ)大神。紀伊国一之宮。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録。

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