デジタル大辞泉
「乾字金」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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けんじ‐きん【乾字金】
- 〘 名詞 〙 宝永七年(一七一〇)発行の宝永小判および宝永一分金。裏面に「乾」字の極印が打たれているところからいう。乾の字は、「易経」に「乾為レ天、為レ圜、為レ君、為レ父、為レ玉、為レ金」とあるのに基づくといわれている。宝永金。乾金(けんきん)。
- [初出の実例]「此時に重秀が奉行して造らせし所は、世に乾字金といふなるが」(出典:随筆・折たく柴の記(1716頃)中)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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乾字金
けんじきん
1710年(宝永7)から5年間鋳造発行された金貨(小判・一分金)で,裏面右肩に「乾」字の極印が打たれたのでこの名がある。改定後の慶長金の品位に近い(84.29%)が,量目が半分余の2.5匁しかないので小形金とも,またたんに乾金とも称された。元禄金の品位が落ち悪評だったので,品位を慶長金に近い水準に戻したが,量目が半減したのでかえって元禄金より低価値の貨幣となった。享保期には2枚で通用金1枚と引き替えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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乾字金
けんじきん
江戸中期の金貨
宝永金ともいう。1710〜14年鋳造。勘定奉行荻原重秀は,1695年元禄金銀を鋳造したが,品位が悪く不評であった。そこで乾字金を鋳造して慶長金と同質に復したが,重さはほぼ半分になり嫌われて,物価は下らず経済界は混乱した。新井白石の反対で重秀は '12年罷免された。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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