改訂新版 世界大百科事典 「事情変更の原則」の意味・わかりやすい解説
事情変更の原則 (じじょうへんこうのげんそく)
clausula rebus sic stantibus[ラテン]
契約成立後履行期までの間に当事者の予見しえない事情の変更が生じ,このため当初の契約に当事者をしばることが不当であると思われる場合に,契約の解除や改訂を認めるという法理論である。この原則は,中世のカノン法に起源を有し,近世にはひろく認められたclausula rebus sic stantibus(契約は事情の変わらないかぎり有効であるという条項)法理に基づくものであるが,〈契約は守られなければならないPacta sunt servanda.〉という原則と矛盾するため,ヨーロッパの近代法では排斥された。ところが第1次大戦の勃発による社会的経済的大混乱はこの忘れられた法理を想起させることになった。今日でも事情変更の原則はドイツをはじめ多くの国で認められている。日本でも,学説上ではすでに大正末期に認められていたが,判例も第2次大戦末期になって事情変更による不動産売買の解除を認めた。戦後のインフレにより,事情変更の原則の重要性は増したが,最高裁はこの原則の適用に消極的であり,これまで具体的事件で事情変更による解除・改訂を認めた例はない。他方,この原則と同様の考え方を基礎にした規定が民法中に若干存在する(609条等)ほか,借地借家法11条,32条(地代や借賃などの増減請求権)もこの考え方に基づくものだといわれる。
事情変更の原則の要件としては次のものがある。(1)契約成立後履行期までの間に契約の基礎となった事情について根本的な変更が生じたこと(たとえば戦争の勃発による原料の入手困難や物価の高騰,インフレによる貨幣価値の低下など)。(2)事情変更を当事者が予見しえなかったこと。(3)事情変更が当事者の責に帰することのできない事由によって生じたこと。これに関連して,当事者がすでに履行遅滞におちいったあとに事情変更が生じた場合には,その当事者は事情変更の主張をすることはできない。(4)事情が変わったのに当事者を当初の契約にしばることが〈信義誠実の原則〉上酷であること(たとえば土地の売買において契約成立後地価が急激に高騰し当初の代金で引渡しをすることが売主に気の毒であるような場合)。
事情変更の原則の効果として,契約の解除が認められることについては異論がないが,変更した事態に適合するよう契約内容を修正すること,たとえば売買代金の増額やインフレによる金銭債権の値減り分の増額ができるか,という点については意見が分かれている。事情変更の原則は契約における正義を実現するための制度であるが,日本のように契約遵守の意識の弱いところでは,いずれにせよその適用については慎重でなければならない。
執筆者:五十嵐 清
国際法
国際法上は,条約について,その締結当時に当事者が合理的に予測しえなかったような,そしてそれを予測したならばその条約を結ばなかったであろうような重大な事情の変化が生じた場合に,当事者がその条約を一方的に廃棄または脱退できるという原則をいう。条約は原則として当事者の合意によってのみ変更し,あるいは廃棄しうるものであるから,この原則は条約の消滅事由の例外である。
この考え方は,あることがらを他国に対して約束した当事国の利益が,条約締結当時にはまったく予測しえなかった事情の重大な変化によって著しく害され,他の当事国との間にはなはだしい利害の不均衡を生じた場合に,その当事国を保護しようとする点においては合理性を有する。しかし,その反面,事情の重大な変化についての認定および原則の適用にあたる公的機関が存在しない現在の国際社会においては,恣意による条約の変更,廃棄に道を開き,その結果,条約関係が不安定になり,国際社会の発展が阻害される危険性がある。
実際には,条約について事情変更の原則が主張されたのはまれで,1870年にロシアがパリ条約の黒海中立化条項を廃棄した例と1935年にドイツがベルサイユ条約を廃棄した例が知られているが,これらは条約当事国が条約上の義務をのがれるためにこの原則を援用したものとして,国際的に承認されているわけではない。ただし,1932年,常設国際司法裁判所が上部サボア自由地帯およびジェックス地方事件において,この原則が例外的に適用される場合があることを認めている。69年の条約法に関するウィーン条約は,事情の根本的な変化に対してこの原則をとり入れているが,国境を確定する条約について,および事情の根本的変化がそれを援用する当事国による条約違反の結果であるときは,この原則を援用できない旨を定めている。
執筆者:岡村 尭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報