二階堂行貞(読み)にかいどう・ゆきさだ

朝日日本歴史人物事典 「二階堂行貞」の解説

二階堂行貞

没年:元徳1.2.2(1329.3.3)
生年:文永6(1269)
鎌倉幕府政所執事二階堂行宗の子。正応3(1290)年政所執事となる。同4年検非違使六位尉,同5年叙留(その官職に対応する位階より上の位階になってももとの官職にとどまる)。同3年信濃守,のちに山城守。永仁3(1295)年には,引付衆の在任が確認される。正安3(1301)年,出家して法名を行暁。乾元1(1302)年11月,政所執事に再任し,没年まで在任が確認できる。<参考文献>佐藤進一「鎌倉幕府職員表復原の試み」(『中央大学文学部紀要/史学科篇』28~30,32号)

(永井晋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二階堂行貞」の解説

二階堂行貞(2) にかいどう-ゆきさだ

?-1411 南北朝-室町時代武士
二階堂直行の子。永徳3=弘和(こうわ)3年父から薩摩(さつま)(鹿児島県)阿多郡北方などの所領相続一族伊作久義とあらそい,久義方についた島津元久に攻められて降伏した。応永18年死去。通称は山城三郎。

二階堂行貞(1) にかいどう-ゆきさだ

1269-1329 鎌倉時代の武将。
文永6年生まれ。二階堂行宗の子。正応(しょうおう)3年と乾元(けんげん)元年,鎌倉幕府の政所(まんどころ)執事となる。嘉暦(かりゃく)4年2月2日死去。61歳。法名は行暁。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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