デジタル大辞泉
「五十嵐力」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
五十嵐 力
イガラシ チカラ
大正・昭和期の国文学者 早稲田大学教授。
- 生年
- 明治7年11月22日(1874年)
- 没年
- 昭和22(1947)年1月11日
- 出生地
- 山形県米沢市館山口町
- 別名
- 号=巴千,甲鳥園主人
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校(現・早大)文学科〔明治28年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔大正14年〕
- 経歴
- 坪内逍遙門下。東京専門学校卒業後、「早稲田文学」記者となり、「近世独逸文学史」を連載。明治34年東京専門学校講師となり、後に早大教授となる。38年「文章講話」を刊行、以後国文学研究者として「児童之研究」「新国文学史」「国歌の胎生及び発達」「軍記物語の研究」「平安朝文学史」「昭和完訳・源氏物語」などを刊行した。大正9年早大文学部に国文科を創設した。「五十嵐力集」(全6巻 酒井雄文堂)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
五十嵐力
いがらしちから
(1874―1947)
国文学者。東京・巣鴨(すがも)に住み甲鳥園人(かもぞのびと)と号した。山形県米沢(よねざわ)市出身。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)卒業後、『早稲田文学』記者を経て、早稲田大学講師となり文章学を担当、『文章講話』(1905。のち改訂して『新文章講話』)を著作、教授に進み、1919年(大正8)文学部国文科設立後はその中心となった。坪内逍遙(しょうよう)門下で文学作品の表現味読に独自の達成を示し、『新国文学史』『国歌の胎生及び発達』『軍記物語研究』『平安朝文学史』や、『和泉式部(いずみしきぶ)日記』『源氏物語』の口語訳、随筆などを集めた『五十嵐力集』など著書多数。
[藤平春男]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
五十嵐力 いがらし-ちから
1874-1947 明治-昭和時代前期の国文学者。
明治7年11月22日生まれ。坪内逍遥(しょうよう),大西祝(はじめ)に師事する。明治38年「文章講話」を刊行し,文章心理学研究の先駆となった。大正7年早大教授。昭和22年1月11日死去。74歳。山形県出身。東京専門学校(現早大)卒。号は甲鳥園(かもぞの)。著作に「軍記物語の研究」「平安朝文学史」「新国文学史」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
五十嵐力
いがらしちから
[生]1874.11.22. 米沢
[没]1947.1.11. 東京
国文学者。東京専門学校卒業。早稲田大学教授。文学博士。坪内逍遙,大西祝 (はじめ) に指導を受け,文芸学的研究を行ない,文章,修辞の研究にもすぐれた業績を残した。主著『新国文学史』 (1912) ,『国歌の胎生及び発達』 (1925) ,『軍記物語研究』 (1931) ,『平安朝文学史』 (1937) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
五十嵐 力 (いがらし ちから)
生年月日:1874年11月22日
大正時代;昭和時代の国文学者。文学博士;早稲田大学教授
1947年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 