小説家。大阪市南区難波町に生まれる。祖父は南地で劇場を経営。大阪府立八尾中学を経て早稲田第二高等学院に学んだが中退,明治大学文芸科に入学したもののほとんど通学せず,1944年応召,九江近辺で敗戦を迎える。47年亀井勝一郎を頼って上京,種々の職業を転々としたが,52年《新潮》の〈全国同人雑誌推薦小説特集〉に《喪神》を発表,さらに第28回芥川賞に選ばれて文壇にデビューする。《柳生連也斎》(1955)で剣豪作家として話題を呼ぶと同時に《柳生武芸帳》(1956-58)を執筆し,剣の柳生を忍びの政治集団としてとらえ直すなど,ユニークな発想にもとづく伝奇ロマンを精力的に発表,一時代をつくる。保田与重郎に師事したこともあって日本浪曼派系の作家たちとの交流も多かったが,文壇きってのオーディオ・マニアとしても知られ,野球,マージャンにも一家言をもち,人相学にも通じていてマスコミ的話題に事欠かなかった。
執筆者:尾崎 秀樹
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昭和期の小説家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小説家。大阪市生まれ。早稲田(わせだ)第二高等学院中退、明治大学文芸科に入学したが、学徒出陣により、華中を転戦。第二次世界大戦後復員して、亀井勝一郎を頼って上京、職業を転々とした。1952年(昭和27)『喪神(そうしん)』で芥川(あくたがわ)賞を受賞したのをきっかけに剣豪小説ブームを巻き起こした。『柳生(やぎゅう)連也斎』(1955)、『柳生武芸帳』(1956~58)などの剣豪小説のほかに、艶笑(えんしょう)物『色の道教えます』(1960~61)、奇想天外な野球小説『一刀斎は背番号6』(1955)などが代表作。奇抜で斬新(ざんしん)な工夫着想、現代的なスピード感と格調ある文体が特色。レコード音楽、麻雀(マージャン)、占いなどに通じ、趣味人としても知られた。
[磯貝勝太郎]
『『五味康祐代表作集』全10巻(1981・新潮社)』
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