五味康祐(読み)ゴミヤススケ

デジタル大辞泉 「五味康祐」の意味・読み・例文・類語

ごみ‐やすすけ【五味康祐】

[1921~1980]小説家大阪の生まれ。「喪神そうしん」で芥川賞受賞。「柳生武芸帳」などで剣豪小説ブームを起こした。他に「二人の武蔵」「一刀斎は背番号6」など。

ごみ‐こうすけ〔‐カウすけ〕【五味康祐】

ごみやすすけ(五味康祐)

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改訂新版 世界大百科事典 「五味康祐」の意味・わかりやすい解説

五味康祐 (ごみやすすけ)
生没年:1921-80(大正10-昭和55)

小説家。大阪市南区難波町に生まれる。祖父は南地で劇場を経営。大阪府立八尾中学を経て早稲田第二高等学院に学んだが中退,明治大学文芸科に入学したもののほとんど通学せず,1944年応召,九江近辺で敗戦を迎える。47年亀井勝一郎を頼って上京,種々の職業を転々としたが,52年《新潮》の〈全国同人雑誌推薦小説特集〉に《喪神》を発表,さらに第28回芥川賞に選ばれて文壇にデビューする。《柳生連也斎》(1955)で剣豪作家として話題を呼ぶと同時に《柳生武芸帳》(1956-58)を執筆し,剣の柳生を忍びの政治集団としてとらえ直すなど,ユニークな発想にもとづく伝奇ロマンを精力的に発表,一時代をつくる。保田与重郎師事したこともあって日本浪曼派系の作家たちとの交流も多かったが,文壇きってのオーディオ・マニアとしても知られ,野球マージャンにも一家言をもち,人相学にも通じていてマスコミ的話題に事欠かなかった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「五味康祐」の解説

五味康祐 ごみ-やすすけ

1921-1980 昭和時代後期の小説家。
大正10年12月20日生まれ。保田(やすだ)与重郎に師事。昭和28年「喪神(そうしん)」で芥川賞。31年「柳生(やぎゅう)武芸帳」を「週刊新潮」に連載し,柴田錬三郎らと剣豪小説ブームをおこす。プロ野球,クラシック音楽,麻雀(マージヤン)通としても知られた。昭和55年4月1日死去。58歳。大阪出身。明大中退。作品はほかに「二人武蔵(むさし)」など。
格言など】私は観相をするが,多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う(56歳のときに)

五味康祐 ごみ-こうすけ

ごみ-やすすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五味康祐」の意味・わかりやすい解説

五味康祐
ごみやすすけ

[生]1921.12.20. 大阪
[没]1980.4.1. 東京
小説家。早稲田大学第二高等学院,早稲田大学英文科をともに中退。 1944年応召,中国を転戦。保田 (やすだ) 与重郎に師事して『日本浪曼派』の影響を受けた。『喪神』 (1952) で芥川賞を受賞,時代小説に新領域を開き,『柳生連也斎』 (1955) で柴田錬三郎と並んで「剣豪小説」の第一線に立った。ほかに『柳生武芸帳』 (1956~58) ,『柳生石舟斎』 (1962~64) など著作多数。

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百科事典マイペディア 「五味康祐」の意味・わかりやすい解説

五味康祐【ごみやすすけ】

小説家。康祐(こうすけ)と通称。大阪市生れ。早稲田大学中退。さまざまな職業を転々とした後,《喪神》(1953年)で第28回芥川賞を松本清張とともに受賞。ユニークな剣豪小説作家として第1次剣豪小説ブームの担い手となった。1956年―1958年まで3年間にわたって《週刊新潮》誌上で《柳生武芸帳》を連載する(未完)。他に,野球,麻雀,音楽を題材とする作品も多い。

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