松本清張(読み)マツモトセイチョウ

デジタル大辞泉 「松本清張」の意味・読み・例文・類語

まつもと‐せいちょう〔‐セイチヤウ〕【松本清張】

[1909~1992]小説家。福岡の生まれ。本名、清張きよはる。犯罪の動機を重視し、背後にある現代社会の仕組みを描き出した推理小説「点と線」「ゼロの焦点」などで、社会派推理小説という新分野を開拓。時代小説ノンフィクション古代史論考などの分野でも活躍。他に「日本の黒い霧」「砂の器」など多数。

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精選版 日本国語大辞典 「松本清張」の意味・読み・例文・類語

まつもと‐せいちょう【松本清張】

  1. 小説家。福岡県出身。本名清張(きよはる)。高等小学校卒。昭和二六年(一九五一)「西郷札」で注目され、同二七年「或る『小倉日記』伝」で芥川賞受賞。「点と線」「ゼロの焦点」で社会派推理小説の新分野を確立した。時代小説、ノンフィクション、古代史論考などの分野でも活躍。著に「日本の黒い霧」「砂の器」「昭和史発掘」「古代史疑」など。明治四二~平成六年(一九〇九‐九四

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20世紀日本人名事典 「松本清張」の解説

松本 清張
マツモト セイチョウ

昭和・平成期の小説家



生年
明治42(1909)年12月21日

没年
平成4(1992)年8月4日

出生地
福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)

学歴〔年〕
小倉市立板櫃尋常小学校(のちの清水小学校)高等科〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
芥川賞(第28回・昭27年度下半期)〔昭和28年〕「或る『小倉日記』伝」,日本探偵作家クラブ賞(第10回)〔昭和32年〕「顔」,文芸春秋読者賞(第16回)〔昭和34年〕「小説帝銀事件」,日本ジャーナリスト会議賞〔昭和38年〕「日本の黒い霧」,婦人公論読者賞(第5回)〔昭和41年〕「砂漠の塩」,吉川英治文学賞(第1回)〔昭和42年〕「昭和史発掘」「花氷」「逃亡」,菊池寛賞(第18回)〔昭和45年〕「昭和史発掘」,小説現代ゴールデン読者賞(第3回)〔昭和46年〕「留守宅の事件」,NHK放送文化賞(第29回)〔昭和53年〕,朝日賞〔平成2年〕

経歴
小学校卒業後、給仕、印刷画工などを経て、昭和14年朝日新聞西部本社の広告部雇員となり、16年正社員。18〜20年兵役。終戦後、朝日新聞社に復職し、広告部意匠係に勤務する傍ら図案家として活躍。25年「西郷札」が「週刊朝日」の“百万人の小説”に入選するとともに第25回直木賞候補作となる。28年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。29年東京本社に転勤。31年退社し、以後作家生活に専念。推理小説にも手を染め、33年「点と線」「眼の壁」が単行本として刊行されベストセラーとなり、いわゆる“社会派推理小説”ブームの火付け役となる。以後、「ゼロの焦点」「わるいやつら」「深層海流」「球形の荒野」「砂の器」「けものみち」など次々と発表、ミステリーの清張時代をつくる。一方、昭和史、古代史などの分野でも活躍し、「昭和史発掘」「日本の黒い霧」「古代史疑」「古代探求」「吉野ケ里と邪馬台国」を発表して注目を集めた。38年日本推理作家協会理事長となり、46年から2期4年会長を務める。42年第1回吉川英治文学賞を受賞したほか、菊池寛賞(45年)など多くの賞を受賞。作品は700編を越え、「松本清張全集」(全56巻 文芸春秋)がある。平成5年短編を対象に松本清張賞が創設された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松本清張」の意味・わかりやすい解説

松本清張
まつもとせいちょう
(1909―1992)

小説家。明治42年12月21日、福岡県小倉(こくら)市に生まれる。小学校卒業後、給仕、印刷の版下工を経て、1939年(昭和14)朝日新聞西部本社広告部勤務。処女作『西郷札(さいごうさつ)』(1950)が懸賞三等に入選し、翌年直木賞候補作となる。52年(昭和27)9月『或(あ)る「小倉日記」伝』で芥川(あくたがわ)賞受賞。54年東京本社勤務。56年退社、文筆生活に入る。初期のモデル(伝記)小説『或る「小倉日記」伝』、『菊枕(きくまくら)』(1953)、『断碑』(1954)、『石の骨』(1955)は、才能がありながら世に認められず、それゆえに執念を燃焼させてやまない屈折した生に、作家の生の共感がある。一方、犯罪の動機の重視、社会性の導入による推理小説『点と線』(1957~58)、『ゼロの焦点』(1958~60)で、「社会派推理小説」という新分野を開いた。また推理的伝記『鴎外(おうがい)の婢(ひ)』『文豪』や時代小説も注目される。さらにノンフィクションの分野は『日本の黒い霧』(1960)をはじめ、山県有朋(やまがたありとも)を描く『象徴の設計』(1962~63)、中江兆民(ちょうみん)を描く『火の虚舟(きょしゅう)』(1966~67)、菊池寛賞受賞の『昭和史発掘』(1964~71)へと拡大する。その後古代史に注目し、『古代史疑』(1966~67)、『火の路(みち)』(1973~74)を著す。歴史に対する洞察は、『清張通史』(1976~78)へと発展し、NHKテレビ番組『ミツコ――二つの世紀末』の製作と並行して同じ素材で小説『暗い血の旋舞』(1987)を発表した。

[山崎一穎]

『『松本清張全集』全56巻(1971~84・文芸春秋)』『『現代文学読本 松本清張 文学編』(1978・清山社)』『中谷博著『大衆文学――その本質、その作家』(1973・桃源社)』

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百科事典マイペディア 「松本清張」の意味・わかりやすい解説

松本清張【まつもとせいちょう】

小説家。本名清張(きよはる)。福岡県生れ。《或る〈小倉日記〉伝》で芥川賞を受賞。1950年代半ばから推理小説を書きはじめ,《点と線》《眼の壁》等で流行作家となった。謎ときのみならず,犯罪の背景となる社会的現実に注目し,広く読者を獲得した。ほかに現代史に材を求めた《日本の黒い霧》《昭和史発掘》,その他《古代史疑》などがあり,幅広く活動した。
→関連項目五味康祐帝銀事件野村芳太郎宝石

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松本清張」の意味・わかりやすい解説

松本清張
まつもとせいちょう

[生]1909.12.21. 小倉
[没]1992.8.4. 東京
小説家。本名,清張 (きよはる) 。高等小学校卒業後,給仕,印刷所の版下工その他の職を転々とし,1937年朝日新聞西部本社に入り広告部員。 50年『西郷札』が『週刊朝日』の懸賞小説に入選,『或る「小倉日記」伝』 (1952) が芥川賞を受けて文壇にデビュー。『啾々吟』 (53) ,『菊枕』 (53) ,『断碑』 (54) ,『石の骨』 (55) など学問,芸術に執念を燃やした人々の生涯や歴史物に新境地を開いた。次いで『張込み』 (55) ,『顔』 (56) など推理小説に手を染め,『点と線』 (57~58) ,『眼の壁』 (58) の成功によって社会派推理小説ブームの推進者となった。『日本の黒い霧』 (60) ,『昭和史発掘』 (64) など歴史の暗黒面をえぐる作品も多い。ほかに『黒の画集』 (58~60) ,『球形の荒野』 (60~61) ,『砂の器』 (60~61) などが推理小説の代表作。その後,考古学,古代史学への関心を深め,『古代史疑』 (66~67) ,『遊史疑考』 (71~72) などの著書もある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本清張」の解説

松本清張 まつもと-せいちょう

1909-1992 昭和後期-平成時代の小説家。
明治42年12月21日生まれ。印刷版下工などをへて朝日新聞西部本社に入社。「三田文学」に発表した「或る「小倉日記」伝」で昭和28年芥川賞。32年から雑誌「旅」に連載した「点と線」で社会派推理小説の新分野を開拓する。42年第1回吉川英治文学賞。日本現代史や古代史のノンフィクション分野でも活躍。平成4年8月4日死去。82歳。福岡県出身。本名は清張(きよはる)。著作はほかに「ゼロの焦点」「昭和史発掘」など。
【格言など】慢性になった常識が盲点をつくる(「点と線」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「松本清張」の解説

松本清張
まつもとせいちょう

1909.12.21~92.8.4

昭和期の小説家。福岡県出身。本名清張(きよはる)。版下工などをへて朝日新聞西部本社社員となる。1950年(昭和25)「週刊朝日」の懸賞小説に「西郷札」が入選。52年に発表した「或る「小倉日記」伝」で芥川賞受賞。56年から文筆専業となり,「点と線」などの推理小説のほか,「古代史疑」「昭和史発掘」など史実解明にとりくんだ作品もある。

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367日誕生日大事典 「松本清張」の解説

松本 清張 (まつもと せいちょう)

生年月日:1909年12月21日
昭和時代;平成時代の小説家
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松本清張の言及

【推理小説】より

…第1は,従来確固として存在していた〈純文学〉と〈推理小説〉の間の境界線が消えたことである。純文学作家が次々に推理小説に筆を染め,松本清張や水上勉のように爆発的人気を呼び,推理小説でデビューした作家が一般の文学賞を取ることも珍しくなくなった。第2は,女性の目ざましい進出である。…

【ゼロの焦点】より

…松本清張の長編推理小説。1958年から60年にかけて《宝石》に連載。…

【総合雑誌】より

…《中央公論》は,占領下におきた松川事件について作家広津和郎が冤罪を訴えた《松川裁判》を長期連載したが,1960年秋に深沢七郎のパロディ小説《風流夢譚》を掲載したことが社長嶋中鵬二邸に右翼テロを招く結果となり,天皇制と皇室とについてはみずから口をとざすということを嶋中が明示してしまった(風流夢譚事件)。 戦後の《文芸春秋》は,推理作家松本清張が占領期と昭和戦前の史実にいどんだ《日本の黒い霧》《昭和史発掘》を長期連載するなどドキュメンタリーな方法によって読者を獲得し,国民雑誌という評を得るにいたった。とくに児玉隆也,立花隆を起用して田中角栄首相の政治資金工作をあばいた〈金脈追及〉記事は,在日外国人記者たちの首相会見要求をみちびいてロッキード事件に先立つ田中内閣退陣を実現させた。…

【大衆文学】より

…占領当初は抑圧されていた時代小説も村上元三《佐々木小次郎》(1950‐51)あたりから隆盛に向かう。川英治《新平家物語》,源氏鶏太《三等重役》などで週刊誌小説の新領域を開拓し,やがてテレビ時代の到来に呼応する形で,柴田錬三郎《眠狂四郎無頼控》,五味康祐《柳生武芸帳》なども連作形式を活用して執筆され,新しい読者層のひろがりの上で松本清張の《点と線》《眼の壁》など社会派本格推理の諸作が発表されて,いわゆる清張ブームを生む。時代小説の現代化(マゲをのせた現代物)の方向として南条範夫が現れ,山本周五郎が独得の切りこみを歴史や市井物に見せると同時に,海音寺潮五郎の《武将列伝》など史伝物も迎えられる。…

※「松本清張」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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