米菓の一種で、埼玉県熊谷(くまがや)市の名物。糯米(もちごめ)粉を練って蒸し、臼(うす)で搗(つ)いて畳大に薄くのし、細かく刻んで乾燥したのち煎(い)りつけ、水飴(みずあめ)と砂糖を加えて棒状にまとめる。これに青きな粉と水飴でこねた衣をきせ、さらに青きな粉をまぶす。本来は駄菓子であったが、香りがよく、淡泊で品のいい味わいと、五家宝という菓名が喜ばれ、年賀などの祝儀にも用いられるようになった。五家宝は享保(きょうほう)年間(1716~36)に上州邑楽(おうら)郡五箇(ごか)村(群馬県板倉町)の人が、乾飯(ほしいい)を蒸してつくったのに始まるといわれる。蜀山人(しょくさんじん)は随筆『奴師労之(やっこだこ)』のなかで、1777年(安永6)の日光東照宮参りのとき、「道中にて見し菓子に五箇棒というものあり」と述べている。文化(ぶんか)年間(1804~18)に武州埼玉郡の鳥海亀吉が改良し、不動岡(ふどうがおか)五箇棒と名づけたが、天保(てんぽう)年間(1830~44)には武州大里郡玉井村の清水庄次郎(しょうじろう)が江戸の吉原に売り込み、吉原棒とはやされた。当時の五箇棒は径5センチメートル、長さ20センチメートルもあった。太くたくましい形状が遊廓(ゆうかく)では縁起よしと珍重されたのである。五家宝となるのは明治以降だが、同様の菓子に水戸名物の「吉原殿中」がある。
[沢 史生]
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
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…(7)干菓子 熬種(いりだね)と焼種(やきだね)の2種類の材料が使われる。熬種はもち米,うるち米などの乾飯をいって粉にしたもので,落雁,塩釜など打物(うちもの),押物(おしもの)と呼ばれるものや,おこし,五家宝(ごかぼう)などに使われる。五家宝はおこし種を砂糖と水あめでつくったみつでこねて丸い棒状に固め,きな粉をまぶしたものである。…
※「五家宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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