精選版 日本国語大辞典 「井戸平左衛門」の意味・読み・例文・類語 いど‐へいざえもん【井戸平左衛門】 江戸中期の幕臣。石見大森(島根県大田市)の代官。本名、正朋(まさとも)。享保の大飢饉のとき、幕府に願い出て薩摩から芋を移植し、同時に独断で米倉を開き税を免じ、責任を問われ自刃。「芋代官」とよばれた。寛文一二~享保一八年(一六七二‐一七三三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「井戸平左衛門」の意味・わかりやすい解説 井戸平左衛門 (いどへいざえもん)生没年:1672-1733(寛文12-享保18) 江戸中期の幕府代官。諱(いみな)は正明。徒役(かちやく)野中八右衛門の子に生まれ,のち井戸正和の養子となる。小普請,表火番,勘定を経て1731年石見国大森代官となる。享保の飢饉に直面し窮民救済に奔走し,飢餓対策としてサツマイモ(甘藷)の移植に尽力する。在任1年半で病に倒れ備中国笠岡で死亡。のち石見国やその周辺では甘藷の普及によって多くの領民が飢餓から救われた。そのため山陰の各地に頌徳碑が建てられ,今でも芋代官とよばれ敬慕されている。執筆者:村上 直 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井戸平左衛門」の解説 井戸平左衛門 いど-へいざえもん 1672-1733 江戸時代前期-中期の武士。寛文12年生まれ。幕臣。勘定奉行所につとめ,享保(きょうほう)16年石見(いわみ)銀山領大森(島根県大田市)の代官となる。享保の飢饉(ききん)に他国から米をあつめ,年貢の減免や公金支出をおこなう。また甘藷(かんしょ)(サツマイモ)栽培をすすめ,芋(いも)代官と称された。享保18年5月27日死去。62歳。本姓は野中。名は正明(まさあきら)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井戸平左衛門」の意味・わかりやすい解説 井戸平左衛門いどへいざえもん [生]寛文12(1672).江戸[没]享保18(1733).5.26. 備中,笠岡江戸時代中期の幕臣。名は正朋。享保 16 (1731) 年,60歳のとき石見銀山の大森代官所に赴任,大凶作にあい,公許を待たず蔵を開いて米を配り,サツマイモを栽培させ,引責自殺。「芋代官」として知られる。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「井戸平左衛門」の意味・わかりやすい解説 井戸平左衛門いどへいざえもん →井戸正明 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by