改訂新版 世界大百科事典 「人民の意志派」の意味・わかりやすい解説
人民の意志派 (じんみんのいしは)
Narodnaya volya
1879年の夏にロシアで結成された革命組織。ナロードニキの革命組織〈土地と自由〉結社の分裂で誕生。〈土地総割替(チョールヌイ・ペレジェル)〉派が農村の農民蜂起による社会革命を志向したのに対し,〈人民の意志〉派は都市でのテロ活動を中心とする政治闘争を当面の戦術とし,党による帝政打倒,政権奪取,普通選挙の実施,立憲議会,社会主義の樹立,という革命路線を主張した。この路線の基礎には,ロシアの国民の圧倒的多数は農民であり,農民は共同体的生活習慣によって社会主義的であるというナロードニキ特有の認識がある。帝政を倒し,選挙制議会が設立されれば,農民の代表は社会主義へと向かう,と考えられた。この派はこの確信のもとに,1881年3月1日(西暦13日)皇帝アレクサンドル2世を暗殺した。しかし人民は帝政打倒へと決起せず,逆に皇帝暗殺がユダヤ人のしわざであるとして反ユダヤ人暴動(ポグロム)に立ち上がった。派は弾圧により次々に執行委員を失い,83年,最後の国内の執行委員デガーエフは官憲の協力者となった。以後,この派の再興の試みが数多くなされるが,不成功に終わった。派は機関紙・誌として《人民の意志》紙(1~12号,1879-85),《人民の意志通報》誌(1~5号,1883-86)をもった。〈人民の意志〉派は,資本主義の成熟をまたずに農村共同体を基にした社会主義への直接的移行をめざす点で,ナロードニキ主義を継承する一方,政治闘争を前面に出した点で従来のナロードニキと異なっている。
執筆者:佐々木 照央
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報