出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
滋賀県甲賀市の旧土山町と三重県亀山市の旧関町の境にある峠。標高357m。鈴鹿山脈南部を横断しており,琵琶湖に注ぐ野洲(やす)川支流の山中川と,伊勢湾に注ぐ鈴鹿川の分水界をなす。古くから東海道の要衝として知られ,三関の一つとされる鈴鹿関が置かれた。峠付近の道筋はたびたび変わり,886年(仁和2)には倉歴(くらぶ)越えから鈴鹿越えの阿須波(あすは)道に移されたといわれる。中世には山賊の横行がはげしく,1424年(応永31)地頭の山中氏がその討伐を幕府に訴え出ている。近世に入ると,五街道中の最重要路として旅人の往来が頻繁になったが,近江側の土山宿と伊勢側の関宿との間が離れすぎていたので,峠の南東約2kmの所に坂下(さかのした)宿が設けられた。東海道では,東の箱根越えと並ぶ難所で,峠には数十軒の茶屋と問屋があった。明治に入って1889年東海道本線が全通し,つづいて90年に草津線が開通すると,東海道は交通幹線としての機能を失い,峠付近も急速にさびれた。1926年国道1号線の鈴鹿トンネルが開通し,現在,旧道の峠(378m)は東海自然歩道として利用されており,巨大な自然石の常夜灯が昔日の面影をわずかにとどめている。峠一帯は68年に鈴鹿国定公園に指定された。
執筆者:井戸 庄三
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三重県と滋賀県の県境にある鈴鹿山脈南端の峠。峠下を国道1号がトンネルで通ずる。887年(仁和3)、京都から土山(つちやま)(滋賀県)を経て坂下(さかのした)(三重県)に至る阿須波(あすは)道として開かれて以来、東国へ向かう交通の要所で、箱根に次ぐ難所として知られた。江戸時代は東海道の整備によって栄え、坂下の宿は戸数300を数えた。旧道を登りつめた標高378メートル付近は広い鞍部(あんぶ)で、常夜灯や茶屋跡が現存する。国道は標高357メートルの所に1923年(大正12)開通し、1962年(昭和37)拡幅された。1967年トンネル内で自動車13台が炎上する事故があり、交通量緩和のためのバイパスが1983年開通した。鈴鹿峠越えの国道1号は名古屋―京都間の最短コースで、1日平均8436台(1983)の交通量がある。
[伊藤達雄]
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