鈴鹿峠(読み)スズカトウゲ

デジタル大辞泉 「鈴鹿峠」の意味・読み・例文・類語

すずか‐とうげ〔‐たうげ〕【鈴鹿峠】

鈴鹿山脈南端にある峠。旧東海道要所で、箱根に次ぐ難所として知られた。標高378メートル。峠下のトンネルを国道1号が通る。

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精選版 日本国語大辞典 「鈴鹿峠」の意味・読み・例文・類語

すずか‐とうげ‥たうげ【鈴鹿峠】

  1. 鈴鹿山脈南端の峠。三重県滋賀県との境にあり、古来、東西交通の要所となる。旧峠(標高三七八メートル)は現在の峠(標高三五七メートル)の西方にあり、東海道の難所として知られた。関所が置かれ、峠をはさんで土山(滋賀県)、坂下三重県)の宿場町が発展。鈴鹿。

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日本歴史地名大系 「鈴鹿峠」の解説

鈴鹿峠
すずかとうげ

山中やまなかの南東方、三子みつこ山と高畑たかはた山の鞍部を南北に通る東海道の峠。標高三七八メートル。伊勢国坂下さかのした宿(現三重県鈴鹿郡関町)へ越える。その地勢は険しく、東の箱根に次ぐ難所として知られたが、土山側は坂下側に比べてゆるやかである。峠を境にして近江側と伊勢側の天候の変化は著しく、「坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る」の鈴鹿馬子唄は有名。当地は古くから交通の要衝とされ、仁和二年(八八六)倉歴くらぶ越に替わり、阿須波あすわ道と称した鈴鹿越が開かれ、古代東海道が通ることとなった(「三代実録」仁和二年五月一五日条など)中世にも伊勢大路として伊勢参宮の通行などに使用された。一帯の山中には盗賊がおり、通行者はしばしば被害を受けている。昌泰元年(八九八)一二月伊勢神宮に下った勅使は、一三日「鈴鹿山ノ内白河」で襲われたことを記し(伊勢公卿勅使雑例)、「日本紀略」延喜六年(九〇六)九月二〇日条によれば「鈴鹿山群盗十六人」が逆に殺されている。


鈴鹿峠
すずかとうげ

伊勢・近江の国境にある。標高三七八メートル。三子みつこ山と鈴鹿山の鞍部を旧東海道が通り、一帯は鈴鹿山・鈴鹿山中とも称される。「三代実録」仁和二年(八八六)五月一五日条に「勅遣左衛門権佐従五位上源朝臣昇、六位一人、検近江国新通阿須波道之利害」とあり、阿須波あすは道と称する鈴鹿越が開かれ、東海道の本筋は近江から伊勢に入るようになり、従来の伊賀越(加太越)は廃された。

昌泰元年(八九八)一二月伊勢神宮に下った勅使は一三日「鈴鹿山ノ内白河ニ強盗出来天、上道乃人物ヲ取天、彼此合戦之程」と山賊に襲われたことを記す(伊勢公卿勅使雑例)

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改訂新版 世界大百科事典 「鈴鹿峠」の意味・わかりやすい解説

鈴鹿峠 (すずかとうげ)

滋賀県甲賀市の旧土山町と三重県亀山市の旧関町の境にある峠。標高357m。鈴鹿山脈南部を横断しており,琵琶湖に注ぐ野洲(やす)川支流の山中川と,伊勢湾に注ぐ鈴鹿川の分水界をなす。古くから東海道の要衝として知られ,三関の一つとされる鈴鹿関が置かれた。峠付近の道筋はたびたび変わり,886年(仁和2)には倉歴(くらぶ)越えから鈴鹿越えの阿須波(あすは)道に移されたといわれる。中世には山賊の横行がはげしく,1424年(応永31)地頭の山中氏がその討伐を幕府に訴え出ている。近世に入ると,五街道中の最重要路として旅人の往来が頻繁になったが,近江側の土山宿と伊勢側の関宿との間が離れすぎていたので,峠の南東約2kmの所に坂下(さかのした)宿が設けられた。東海道では,東の箱根越えと並ぶ難所で,峠には数十軒の茶屋と問屋があった。明治に入って1889年東海道本線が全通し,つづいて90年に草津線が開通すると,東海道は交通幹線としての機能を失い,峠付近も急速にさびれた。1926年国道1号線の鈴鹿トンネルが開通し,現在,旧道の峠(378m)は東海自然歩道として利用されており,巨大な自然石常夜灯が昔日の面影をわずかにとどめている。峠一帯は68年に鈴鹿国定公園に指定された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴鹿峠」の意味・わかりやすい解説

鈴鹿峠
すずかとうげ

三重県と滋賀県の県境にある鈴鹿山脈南端の峠。峠下を国道1号がトンネルで通ずる。887年(仁和3)、京都から土山(つちやま)(滋賀県)を経て坂下(さかのした)(三重県)に至る阿須波(あすは)道として開かれて以来、東国へ向かう交通の要所で、箱根に次ぐ難所として知られた。江戸時代は東海道の整備によって栄え、坂下の宿は戸数300を数えた。旧道を登りつめた標高378メートル付近は広い鞍部(あんぶ)で、常夜灯や茶屋跡が現存する。国道は標高357メートルの所に1923年(大正12)開通し、1962年(昭和37)拡幅された。1967年トンネル内で自動車13台が炎上する事故があり、交通量緩和のためのバイパスが1983年開通した。鈴鹿峠越えの国道1号は名古屋―京都間の最短コースで、1日平均8436台(1983)の交通量がある。

[伊藤達雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴鹿峠」の意味・わかりやすい解説

鈴鹿峠
すずかとうげ

三重県北部亀山市と滋賀県甲賀市境界にある峠。鈴鹿山脈南端に位置し,江戸時代,東海道の道筋に定められて整備された峠で,南東麓に坂下宿 (→坂下 ) が設けられた。滋賀県側は緩傾斜,三重県側は急崖をなす傾動地塊のため,三重県側は曲折の多い急坂で,箱根と並ぶ難所として知られた。現在は国道1号線が標高 357mの地点を鈴鹿トンネルで抜ける。旧道は東海自然歩道として利用されており,登りつめた標高 378mの峠付近は広い鞍部で,常夜灯や茶屋跡が保存されている。鈴鹿国定公園に属する。

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百科事典マイペディア 「鈴鹿峠」の意味・わかりやすい解説

鈴鹿峠【すずかとうげ】

三重・滋賀県境,鈴鹿山脈南部の峠。標高357m。峠下を国道1号がトンネルで通過する。886年に開かれた阿須波道に相当するとされ,中世にわたって山賊や女盗賊の活動がみられた。江戸時代,東海道の坂下・土山両宿の間にあり,坂下には鈴鹿関があって,箱根に次ぐ主要な峠だった。明治以後東海道・関西両本線からはずれて一時衰えたが,自動車輸送路として復活している。
→関連項目土山[町]

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事典・日本の観光資源 「鈴鹿峠」の解説

鈴鹿峠

(滋賀県甲賀市)
湖国百選 街道編」指定の観光名所。

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