伊勢神宮の正月と4月の神事に勤仕していた猿楽座で,和屋,勝田,青苧(あおそ)/(あおお)(青王(あおお))の3座があった。《風姿花伝》神儀編の諸国の猿楽座について記した個所に〈伊勢,主司(しゆし),二座〉とある。〈主司〉は〈呪師〉であり,伊勢猿楽が平安・鎌倉期の寺院の修正会・修二会で〈走り〉と呼ばれる芸を演じていた呪師の系統の座であることが示されている。〈二座〉とあるが,四巻本系の《風姿花伝》ではこのあとに〈和屋,勝田。又今主司一座在〉とあり(これが完全な本文らしい),応永初年にはすでに3座存在したことが明らかである(今主司は青苧)。呪師との関係からみれば,少なくとも和屋・勝田の結座の時期は平安時代にまでさかのぼる可能性が高いが,その活動の明証が得られるのは伊勢国司北畠氏の庇護をうけて3座が隆盛に赴いた南北朝以後で,1416年(応永23)には伏見山田宮の祭礼に出勤したことが知られている。1576年(天正4)北畠氏が織田信長に滅ぼされるや,庇護者を失った3座は衰運に向かい,まず青苧が滅び,元禄ころから喜多流に所属しつつ神宮の正月の例祭に勤仕してきた和屋と勝田も幕末に至りその神役を続けられなくなり,ここに伊勢猿楽の伝流が絶えるに至る。この3座が正月の神宮の祭礼で翁舞に先立って演じていた〈方堅め〉は翁猿楽の母胎となった呪師芸のなごりを色濃くとどめる芸として注目される。
→猿楽
執筆者:天野 文雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これを〈呪師猿楽〉という俗称で呼び,その芸を〈走り〉と称したらしい。世阿弥の《風姿花伝(ふうしかでん)》に,〈伊勢,主司(しゆし)二座〉(4巻本は三座)とあり,主司は呪師のことで,伊勢猿楽が呪師猿楽の系統であり,〈走り〉の芸を演じていたことを示している。〈走り〉は舞楽の走り物の系譜に立つと思われる芸が京洛貴族に迎えられ,宮廷や六勝寺の法会では〈昼呪師〉の芸が行われて,一般の猿楽より高く遇された。…
※「伊勢猿楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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