広くは血気盛んな男子。歴史上の概念としては1884,85年ごろから,民権運動の周辺に登場する青年活動家。決死の覚悟で敵地に赴く刺客をうたった〈風粛々として易水寒し,壮士一たび去りて復た還らず〉(《戦国策》)に由来する,熱気と殺気を併せもった存在である。明治維新による国民的エネルギーの解放はこの時期に主としてほかに職業をもたない青年層の動きとして現れ,維新前後に誕生し,明治初年に成長した新しい世代のうちから,自由民権と国民的独立の意識に目覚めた青年の自発的運動が発生してくる。その存在が世の注目を集めたのは1887年の三大事件建白運動のときで,彼らは有志者として上京し,請願をおこない,日本最初のデモ行進ともいうべき大運動会を挙行するなど,弁舌と腕力を武器にはでな行動をおこなった。その活動は演説会における大言壮語,紛争への介入・調停・談判などであったが,帝国議会開幕前後から,自発性・自主性を急速に失い,政党派閥領袖によって養われる雇用壮士へ退行していく。議会の開幕は政治家を院内・院外に区分し,政治家の卵にすぎない壮士は院外団に集まるが,大衆組織をいまだ発達させることができない名望家政党にあって,生活基盤の不確かな彼らは領袖に頼らざるをえなかったためである。こうして壮士は政党周辺の無頼の徒として定着していくことになった。
→壮士芝居
執筆者:寺尾 方孝
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明治期の一種の職業的政治活動家。自由民権時代に自由党の行動隊として活躍した。群馬事件、加波山(かばさん)事件、名古屋事件、飯田事件、大阪事件などに参加した「自由党の少壮の士」で、おもに士族や自作農の子弟からなる自由党内の急進派である。壮士の1人である井上敬次郎によれば、「志士」とか「実行者」の呼び名を「壮士」と呼称するようになったのは、1883、84年(明治16、17)ごろからであるという。尾崎行雄は、大同団結運動の参加者をそれまで「有志家」といっていたのを改めて「壮士」とよんだともいっている。88年12月角藤定憲(すどうさだのり)が壮士芝居を始め、演劇界でも流行した。議会開設後は院外団となる。
[松尾章一]
『佐藤孝太郎著『三多摩の壮士』(1973・武蔵書房)』
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