日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊賀光宗」の意味・わかりやすい解説
伊賀光宗
いがみつむね
(1178―1257)
鎌倉初期の武士。伊賀守(かみ)藤原朝光(ともみつ)の子。承久(じょうきゅう)の乱(1221)勃発(ぼっぱつ)当時の京都守護伊賀光季(みつすえ)の弟。妹は北条義時(よしとき)の後妻。北条氏との関係から重用され、1219年(承久1)政所執事(まんどころしつじ)となった。1224年(元仁1)、4代将軍頼経(よりつね)を廃し、妹の女婿藤原実雅(さねまさ)を将軍に、妹の子北条政村(まさむら)を執権にたてようとした陰謀が露顕して所領を没収され、信濃(しなの)に流された(伊賀氏の変)。出家して光西(こうさい)と称し、翌1225年赦(ゆる)され、1245年(寛元3)評定衆(ひょうじょうしゅう)になり、死去するまで幕府の要職にあった。
[新田英治]