内科学 第10版 「低血糖症」の解説
低血糖症(糖代謝異常)
1)血糖を上げるメカニズム:
正常者において血糖値を低下させる因子はインスリンだけであるが,血糖値を上げるメカニズムは,複数存在する.これは,哺乳類の進化の過程で,しばしば遭遇した飢餓時に低血糖から個体を守るために獲得されてきたものと考えられる.血糖値を上げるメカニズムとして重要なものは,肝臓でのグリコーゲン分解,肝臓でのアミノ酸およびグリセロールからの糖新生,腎臓でのアミノ酸およびグリセロールからの糖新生である.
血糖値が80 mg/dLを下回るころからインスリン分泌は基底状態となり,60~70 mg/dLになるとインスリン拮抗ホルモンと総称されるホルモンの分泌が起こる(図13-2-33).インスリン拮抗ホルモンには,即時に作用するカテコールアミンおよびグルカゴンと緩徐に作用するコルチゾールおよび成長ホルモンがある.カテコールアミンは,肝および腎での糖新生を促進,末梢での糖利用を抑制し,脂肪分解を促進するとともに,インスリンの分泌を抑制して,低血糖を改善する.グルカゴンは,おもに肝臓での糖新生を増加させる.カテコールアミンおよびグルカゴンが分泌されれば,その効果は即座に現れるが,コルチゾールおよび成長ホルモンは分泌されて数時間を経ないとその作用は現れない.コルチゾールは,肝からの糖新生と脂肪分解を促進し,成長ホルモンは,さらに筋肉などの末梢組織に直接作用して,糖利用を抑制する.脂肪分解は,遊離脂肪酸とグリセロール濃度を上昇させ,糖新生の基質を供給している.
2)低血糖・低血糖症の定義:
低血糖を明確に定義する基準値があるわけではない.図13-2-33にあげる症状を伴い,血糖値が60 mg/dL以下の場合を臨床的に低血糖症とする.ただし,インスリンやスルホニル尿素薬で治療中の糖尿病患者では急速に高血糖から正常血糖に血糖値が下がりつつあるとき,60 mg/dLより高くても低血糖の自律神経症状が自覚されることがある.
臨床症状
低血糖の症状は,いわば警告症状ともいえる自律神経の反応による症状と,神経組織のグルコース欠乏に基づく症状の2つに分けられる(図13-2-33).まず,血糖値が70 mg/dLを下回るころよりカテコールアミンが分泌され,振戦,動悸,頻脈,発汗などがみられ,飢餓感,不安感を自覚するようになる.さらに,血糖値が下がると,神経細胞でのグルコース欠乏により正常な神経活動が障害され,その結果,視力障害・複視,頭痛,脱力,判断力の低下,さらには,異常行動・錯乱,痙攣,昏睡に至る.
低血糖を繰り返している患者では,低血糖症状が現れる血糖の閾値が低下する.これは,血糖低下に対するカテコールアミンの分泌が鈍くなるからである.この結果,自律神経症状が現れずに,神経機能障害がいきなり生ずる.重篤な場合には,前駆症状を伴わずに意識障害に陥る無自覚低血糖がみられることがある.
原因・病因
低血糖を起こす原因にはさまざまなものがあり,多様な分類が提唱されているが,ここでは2009年に発表された米国内分泌学会(The Endocrine Society)による分類法に準拠して説明する(Cryerら,2009).なお,新生児低血糖症には,このほかの病態も存在するので,成書を参照していただきたい.
低血糖は大きく2つに分けると,①低血糖を主徴としない疾患に伴って認められる場合,およびそれらのほかの疾患の治療に使われる薬物によって起こる場合があり,また②そのような病態などがなく,低血糖以外では健常者と変わらない人に認められる場合がある(表13-2-23).患者や家族に対する初期段階の問診で,①と②の区別がある程度可能である.
1)何らかの疾患に伴って起こる低血糖:
①の場合が疑われた場合,薬剤によるものか,重症な肝疾患や腎疾患に伴うものである可能性を考慮する.また,血糖を上昇させるコルチゾールやグルカゴンの分泌不全をきたす疾患の可能性を考察する.さらに,インスリン分泌細胞以外の腫瘍に伴う可能性を考える.
多くの薬剤が低血糖を引き起こすことが明らかになってきている(表13-2-24)(Anlaufら,2005).内服中,投与中の薬剤について,十分問い合わせることが重要である.また,コルチゾールやグルカゴンの分泌不全が,肝臓からのグルコースの供給不足を招くのみならず,重症な肝疾患や腎疾患は,糖新生の低下を招き低血糖に至る場合がある.さらに,インスリン分泌細胞以外の腫瘍でも,ときに低血糖の原因となる.この腫瘍関連低血糖はおもに肝臓癌や間葉系の腫瘍でみられる.腫瘍が産生する過剰なIGF-Ⅱが,インスリン様作用を発揮して低血糖をきたすと考えられている.内因性のインスリン分泌は,低く抑えられる.
2)一見健常にみえる人に認められる低血糖:
a)インスリノーマ:【⇨13-2-5)】
b)膵島細胞症(nesidioblastosis):膵島細胞(おもにβ細胞)の過形成による低血糖症である(Muradら,2009).後述のインスリノーマと異なり,β細胞の過形成を伴う多くの場合,膵全体にわたる膵島数の増加が主因である.グルコース濃度応答能が正常なβ細胞の増加であるため,空腹時の低血糖は少なく,むしろ食事後の低血糖が特徴的である.その原因は,いまだ不明であるが,胃癌による胃全摘や肥満治療目的の胃バイパス手術の後に,発症する症例がみつかり,病因の解明につながると期待されている. c)インスリン自己免疫症候群:空腹時低血糖,血清免疫反応性インスリン(immunoreactive insulin:IRI)高値,血清中のインスリン自己抗体の存在の3つで特徴づけられる自己免疫疾患である.最初の症例は,1970年に平田らによって報告された.世界でこれまでに200例以上の報告があるが,約90%が日本人である.SH基や関連の構造をもつ薬剤(チアマゾール,グルタチオン,α-リポ酸など)を服用している症例が多い.原因不明であるが,インスリンに対する自己抗体が産生され,血中インスリンに結合するが,何らかの原因(就眠後に起こる血液の酸性化など)で突発的に結合が離れ,遊離インスリンが増加して低血糖を起こす.日本人に多いHLA-DR4抗原が発症に関与すると考えられている. 免疫学的に測定したIRIの値は,インスリン自己抗体が,測定で用いる抗インスリン抗体と競合するために,異常高値を示す(通常100 mU/mL以上).多くの場合,3カ月以内に自然寛解する. d)肥満を伴う耐糖能異常の患者:インスリン抵抗性を伴う肥満者では,膵β細胞が過形成を起こしている.さらに,β細胞の機能的異常が加わることにより,食後の血糖値上昇の初期に十分なインスリン分泌が起こらないと,食後高血糖を呈する.このとき,過剰なインスリンが分泌される結果,食後3~5時間後に低血糖をきたすことがある.一般に,反応性低血糖とよばれている. e)虚偽性低血糖:糖尿病でない者が,自らインスリンを注射したり,スルホニル尿素薬あるいはフェニルアラニン誘導体薬を服用して,低血糖をきたすものである.
低血糖時の対処・治療
表13-2-25に低血糖に対する対処法,治療法をまとめた.意識のない患者に砂糖水などを無理に飲ませると,誤嚥することもあるので控える.ただし,グルコースあるいは砂糖を口唇と歯肉の間に練りつけることで,多少の血糖上昇が期待できる.[石原寿光]
■文献
Anlauf M et al: Persistent hyperinsulinemic hypoglycemia in 15 adults with diffuse nesidioblastosis: diagnostic criteria, incidence, and characterization of beta-cell changes. Am J Surg Pathol, 29: 524-533, 2005.
Cryer PE, et al: Evaluation and management of adult hypoglycemic disorders: an endocrine society clinical guideline. J Clin Endocrinol Metab, 94: 709-728, 2009.
Murad HM, et al: Drug-induced hypoglycemia: a systemic review. J Clin Endocrinol Metab, 94: 741-745, 2009.
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報