住之江区(読み)スミノエク

デジタル大辞泉 「住之江区」の意味・読み・例文・類語

すみのえ‐く【住之江区】

すみのえ

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日本歴史地名大系 「住之江区」の解説

住之江区
すみのえく

面積:一八・四〇平方キロ

大阪市の南西端に位置し、南は大和川を挟んで堺市、北は西成にしなり区および木津きづ川・大阪港を隔てて大正区・港区、東は住吉区と接し、西は大阪湾に臨む。区域はおおむね平坦で、上町うえまち台地西斜面下に位置する東部地域は砂質の沖積層からなり、中部は近世新田として埋立てられた地域。西部には、昭和三三年(一九五八)から埋立事業が開始された大阪南港地区が広がる。区名住之江は、古代以来の当地付近の呼称にちなむ。

〔古代・中世〕

古代には現区域の大半は海で、東部地域が海岸線であった。現粉浜こはま付近は一面の蘆原をなし、また安立あんりゆう付近は「万葉集」にみえるあられ松原の地と伝えている。所属郡は住吉郡で粉浜付近は、「和名抄」の同郡余戸あまりべ郷の地ともいわれる。粉浜地区は、保元二年(一一五七)から応保元年(一一六一)にかけて、保元の乱に敗れた源氏一族によって開発されたという。また、同地は一三世紀末より住吉社(現住吉区)領に属したと伝えるが、南部の安立付近も同様であったと思われる。なお、中世当区付近は度々合戦場となったが、近世のしま村付近にも、一六世紀前半に細川氏の陣所が設けられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「住之江区」の意味・わかりやすい解説

住之江〔区〕
すみのえ

大阪市南西端,大和川下流右岸の区。 1974年住吉区の西半部を分離して新設。北は木津川,南は大和川をへだてて堺市に接し,西は大阪湾にのぞむ。江戸時代中期以降に干拓された低湿な新田地で,木津ニンジンの産地であったが,昭和初期から工業化が進み,第2次世界大戦後急速に工業地区となった。木津川沿いは造船業地域で,付近には関連の鉄工所が多い。平林一帯は製材業地区で,広大な貯木池がある。南港埋立て地にはコンテナカーフェリー埠頭が整備され,新国際見本市会場や大阪南港ポートタウンが建設された。東部には住吉公園住之江公園があり,南港から住之江公園までは南港ポートタウン線が,住之江公園から都心までは地下鉄四つ橋線が延びる。南港南と南港北を結んで阪神高速4号湾岸線が通る。面積 20.68km2。人口 12万72(2020)。

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