フェリー(英語表記)ferry

翻訳|ferry

精選版 日本国語大辞典 「フェリー」の意味・読み・例文・類語

フェリー

〘名〙
① 「フェリーボート」の略。
※蒼氓(1935‐39)〈石川達三〉第二部「フェリイに乗ってホンコン島にわたったが」
渡船場のこと。
※欧米印象記(1910)〈中村春雨〉加州雑記「波止場から上陸すると、直ぐ海岸伝ひに、王府(オークランド)への渡船場(フェリー)へ辿り着いた」

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デジタル大辞泉 「フェリー」の意味・読み・例文・類語

フェリー(ferry)

フェリーボート」の略。「カーフェリー

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改訂新版 世界大百科事典 「フェリー」の意味・わかりやすい解説

フェリー
ferry

河川,海峡,内海などで隔てられた2地点を船で連絡すること。いわゆる渡し船による小規模なものから,列車ごと航送するものまでさまざまな形態があるが,現在では旅客輸送とあわせて自動車航送を行うカーフェリー代表的である。今日のフェリーの原型は1850年にイギリスで初めて貨車を積んだ歴史にまでさかのぼる。近代的なフェリーは第2次大戦後のヨーロッパで発達のスタートを切り,とくにドーバー海峡の横断航路で発達した。日本では1944年に鹿児島~桜島間に初めて登場したのち,昭和20年代末期に瀬戸内海などで現れ始めたが,めざましいモータリゼーションの時代を迎えた昭和40年代に入って急速な発展を示した。フェリーは乗用車にとっては動く橋であり,また貨物にとっては荷役時間の短縮と陸上輸送ルートの短絡化とにより輸送時間および費用を低減するので,現代では離島航路と長距離の国内定期航路に不可欠なものとなっている。
執筆者:

旅客を主として運ぶものと,旅客とともに自動車を運ぶものに大別され,後者はいわゆるカーフェリーと呼ばれるものである。旅客のみを運ぶフェリーボートでは,船体の大部分を客室にし,なるべく多くの乗客が乗れるようにしてある。一方,カーフェリーは自動車を多数収容できる広い車両甲板をもち,車両が自走して出入りする可動橋や斜板(ランプ)を船首,船尾,あるいは船側に備えている。

 フェリーボートは一般に比較的短距離を定期的に定時運航するため,速力に比べて余裕のあるエンジンをもっており,速力も比較的速い。また頻繁に港に出入りし,狭い場所や浅い所を航行するため,喫水を浅くし,操船を容易にするよう船型を決め,プロペラや舵にも特殊な装置をつけることが多い。中には前と後が同じ形でどちら向きにも進めるもの,双胴船にして甲板面積を多くしたもの等,航路と目的にそった数々のくふうがしてある。客室等の居住性はそれほど考慮されていないが,長時間航行する大型カーフェリーや国際航海フェリーなどは,広いラウンジやキャビン,遊歩デッキなど客船なみの豪華な設備をもっている。
鉄道連絡船
執筆者:

フェリー
Jules François Camille Ferry
生没年:1832-93

フランスの政治家。第三共和政下の1880年代に首相また文相となり,植民地侵略を推進すると同時に,内政では初等教育の義務化,世俗化,無償化を実現し,共和政の確立に努めた。1869年,第二帝政批判の立場から立法院議員に当選し,70年の帝政崩壊で国防政府に参加,ついでプロシア軍包囲下のパリ市長,パリ・コミューン弾圧後のセーヌ県知事となった。こうしてティエールの考えた保守的共和政確立の路線に従って,王党派とは対立する共和派の政治家として成長した。73年,国民議会に郷里ボージュ県から出て当選し,王党派勢力の打破に努め,文相(1879,82),首相(1880-81,83-85)となった。この間,81年チュニジアの保護領化,83年マダガスカル遠征,アンナンの保護領化,清仏戦争などを展開した。クレマンソーら急進派はこれに激しい批判を加え,85年にフェリー内閣は倒れた。しかし,フェリーによる初等義務教育の確立は,フランス人を共和政に結びつける重要な役割を果たした。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェリー」の意味・わかりやすい解説

フェリー
Ferry, Jules (-François-Camille)

[生]1832.4.5. ボージュ,サンディエ
[没]1893.3.17. パリ
フランスの政治家,弁護士。第二帝政を強く批判。 1869年の総選挙では急進共和派に属して当選したが,次第に急進派から離れて共和派のオポルテュニスト (日和見主義者) となった。普仏戦争が始ると,国防政府に協力,セーヌ県知事,パリ市長となり,パリ・コミューン (1871) まで首都の行政にあたった。 72~73年アテネ大使をつとめたのち,文相,首相,外相として 79~85年権力の座にあり,特に初等教育の無償,義務の原則を打立てて教育改革を試み,またチュニジア,コンゴ,トンキンにおけるフランス植民地膨張政策を展開して急進派と激しく対立した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フェリー」の解説

フェリー
Jules Ferry

1832~93

フランスの政治家。1869年に代議士となったときには急進共和派に属したが,第三共和政の確立とともに,ブルジョワ共和派の代表として,いわゆる日和見主義派の中心となり,急進派と対立した。79~85年には大臣,首相を歴任して修道会の解散,非宗教的初等義務教育制の創設を行った。対外的には植民地獲得競争に加わり,特にインドシナの征服に熱中した。

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世界大百科事典(旧版)内のフェリーの言及

【宗教教育】より

…これは学校と教会の役割の分離の理論化であり,信仰を私事とする近代民主主義思想の当然の結論である。義務,無償,世俗という近代学校教育制度の三原則を確立した1882年のJ.F.C.フェリーによる改革では,教育科目としての〈道徳・宗教〉科は〈道徳・市民〉科とかわり,公立小学校からいっさいの宗教教授を除外し,かわりに日曜日以外の週1日を休校日とし,この日を家庭が信じる宗教・宗派の教会での宗教教育にあてる日とした。1902年にはこの措置を国公立の中等学校にも適用し,04年には修道会による普通教育機関の経営を禁止した。…

【ビュイッソン】より

…27年ノーベル平和賞受賞。1881‐82年,J.F.C.フェリーの教育改革(公立学校の無償,義務教育制度の確立,宗教と教育の分離など)の素案を作成するなど,初等教育の改善に大きく貢献した。彼の編纂した《教育学辞典》(1882‐93)は今日でも最高の評価を得ている。…

※「フェリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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