デジタル大辞泉
「佐々醒雪」の意味・読み・例文・類語
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さっさ‐せいせつ【佐々醒雪】
俳人、国文学者。本名政一
(まさかず)。京都出身。東京帝大卒。大学在学中「連俳小史」を「
帝国文学」に
連載。
笹川臨風らと「
筑波会」をつくり俳句運動に参加した。俳諧研究に
功績が大きい。著に「
俳句大観」など。
明治五~大正六年(
一八七二‐一九一七)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
佐々醒雪
没年:大正6.11.25(1917)
生年:明治5.5.6(1872.6.11)
明治大正時代の国文学者,俳人。本名は政一。醒雪は号である。京都生まれ。父は政直,母は光浦。帝大文科大国文科卒。在学中の明治27(1894)年,俳句団体筑波会を結成,「連俳小史」を雑誌『帝国文学』に連載,明治30年に上梓し,長く名著といわれた。二高などで教えたのち,明治34年,書店金港堂に入り,雑誌『文芸界』を編集。明治39年,東京高等師範学校教授となり,晩年まで国語,国文を講じた。『日本情史』(1909)の自序の言葉「歴史は事相である,文芸は実相である」に,佐々の文芸観がうかがわれる。著書に『俗曲評釈』(1908~11),『近世国文学史』(1911),『醒雪遺稿』(1918)などがある。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
佐々醒雪
さっさせいせつ
(1872―1917)
俳人。京都に生まれる。本名政一(まさかず)。帝国大学在学中、大野洒竹(しゃちく)、笹川臨風(ささかわりんぷう)らと筑波(つくば)会を結成し、帝国文学派の同人として活躍した。帝大卒業後、仙台の旧制二高、旧制山口高校教授を経て『文芸界』(講談社)編集、東京高等師範学校教授、東京帝大、早稲田(わせだ)大学講師を歴任した。文学博士。著書は多く、『三句索引俳句大観』(1916)、『連俳史論』(1928)などが有名。
かけこみし雨に酒よぶ浴衣(ゆかた)かな
[村山古郷]
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佐々醒雪 さっさ-せいせつ
1872-1917 明治-大正時代の国文学者,俳人。
明治5年5月6日生まれ。帝国大学在学中に大野洒竹(しゃちく)らと俳句結社筑波(つくば)会を結成。二高,旧制山口高の教授をへて,明治39年東京高師教授。一時,雑誌「文芸界」の編集主筆をつとめた。大正6年11月25日死去。46歳。京都出身。本名は政一(まさかず)。著作に「俳句大観」「連俳史論」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例