佐藤信景(読み)さとう・のぶかげ

朝日日本歴史人物事典 「佐藤信景」の解説

佐藤信景

没年享保17(1732)
生年:延宝2(1674)
江戸中期蝦夷地稲作の先唱者,出羽雄勝郡西馬昔内村(秋田県羽後町)に生まれ,医業とともに農学を家学として継承元禄10(1697)年,門人蝦夷地に入り,釧路奥阿寒山麓に地を相して稲作の経験を積むこと3年,成果を『開国新書』として松前藩に提出した。藩は禁令なりとして退去を命じた。これは孫信淵が『土性弁』(信景著,信淵補)にいうところで,久しく真実とされてきた。だが現地に何らの証跡もなく,彼が肥培の法を強調せんがため仮に事に託したものと思われる。にもかかわらず佐藤家5代の伝統に支えられて,多くの人々をして北地開拓の希望をふるい立たせたことは見逃しえない。<参考文献>高倉新一郎『北の先覚

(井黒弥太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤信景」の解説

佐藤信景 さとう-のぶかげ

1674-1732 江戸時代前期-中期の農学者。
延宝2年生まれ。佐藤信淵(のぶひろ)の祖父佐藤信季(のぶすえ)の父。医業のかたわら農政学や博物学をおさめる。元禄(げんろく)年間に蝦夷(えぞ)地(北海道)にわたり,開拓の経験を「開国新書」にまとめたというが,信淵による虚説とみられる。享保(きょうほう)17年7月25日死去。59歳。出羽(でわ)雄勝(おがち)郡(秋田県)出身。字(あざな)は元伯。号は不昧軒。著作はほかに「土性弁(どせいべん)」「山相秘録」など。

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