江戸後期の女流文学者。初名隆(りう)、のち麗女と改める。伊勢内宮(いせないくう)の神主荒木田武遠(たけとお)の女(むすめ)。13歳で叔父外宮(げくう)の御師(おし)荒木田武遇(たけとも)の養女となる。17歳で連歌師西山昌林(しょうりん)に入門、のち花の下昌廸(はなのもとしょうてき)の弟子となった。22歳(23歳ともいわれる)で慶滋家雅(けいじいえただ)と結婚。麗女の文筆活動の大成は、好学の夫の理解と援助による。『うつほ物語』の研究に端を発して、著作生活に入った年代は40歳から50歳ごろまでで、『月の行衛(ゆくえ)』以下の歴史物語、『桐葉(きりは)』以下の物語をはじめ、紀行文、随筆、句集など著作総数は約400巻に上る。物語作品のほとんどは平安貴族に取材したもので、平安文学の亜流を出ないが、多くの古典を読破鑑賞した学者的態度と、その造詣(ぞうけい)を自由自在に駆使した流麗な文章とは、多作ぶりとともに驚嘆に値する。また、連歌の第一人者として、夫の死後は、豊宮崎(とよみやざき)文庫の連歌会と、自家の月次(つきなみ)会を指導した。文化3年1月12日、山田八日市場の自邸に没す。75歳。墓所は伊勢市浦口町旦過(たんが)の山上(一名天神(でんじ)山)にある。
[伊豆野タツ]
『日本文学資料研究会編『国学者伝記集成 荒木田慶徳麗子』復刻版(1973・名著刊行会)』▽『新谷知新編『江戸時代女流文学全集1~3』復刻版(1979・日本図書センター)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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