イギリスの紡績機械発明家,実業家。紡績機械の発明に加えて,梳綿から精紡にいたる全工程の一貫生産技術を確立し,イギリス産業革命に多大な影響を与えた。ランカシャーのプレストン生れ。理髪師,鬘(かつら)製造業を営むかたわら,1760年代には紡績機械に関心をもち改良工夫をはじめる。当時のイギリスの紡績業は,インドから輸入されるインド・キャラコへの対応策と綿糸全体の需要増に見合う生産拡大とが求められていた。アークライトは,ワイアットJ.WyattとポールL.Paulによる紡績機械を発展させ,糸を回転速度の異なる3対のローラーに通し無理なく引き伸ばし,フライヤーで撚(よ)りをかける紡績機械(精紡機)を発明し,69年に特許を申請。同年,馬力による工場をノッティンガムに,71年には水力による工場をクロムフォードに建設。これがアークライトの紡績機械をウォーター・フレームと呼ぶ由来である。ウォーター・フレームの登場によって,細く強い綿糸が大量につくられるようになり,綿と麻との交織(織機の使用にたえうる強度をもった亜麻糸を縦糸に,綿を横糸に使用する織)によらずに薄手の綿布がつくられるようになった。また,クロムフォードの工場では,梳綿・連条・粗紡といった精紡以前の工程も機械化し,一つの大きな水車ですべてを駆動する一貫生産が行われた。アークライトは,これらの技術を75年に特許申請し,以後イギリス各地でアークライトの方式による工場がつくられていったが,自由に工場を建設できない他の業者の不満と,アークライトの特許権に対する疑義が高まり,81年には第2の特許,83年には第1の特許の失効が宣言された。しかし,個々のアイデアに先行者がいたとはいえ,実用に足る機械を製作し,綿紡績の一貫生産を達成した意義はきわめて大きく,86年にはナイトの称号を与えられた。
執筆者:奥山 修平
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1732~92
イギリスの紡績機改良者。1768年水車を動力とする最初の水力紡績機の実用化に成功し,多くの工場を建てた。86年サーに叙された。水力紡績機はまもなくクロンプトンの「ミュール機」にとって代わられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…昔ながらの紡車に取って代わった最初の紡績機はハーグリーブスのジェニー機(1770特許)であるが,手で操作でき,小型で安価であったから,旧来の家内工業に広く取り入れられた。紡績業を家内工業から工場制度に変えたのは,アークライトの水力紡績機(1769特許)であった。彼の初めの工場では動力源は馬力であったが,1771年ダーウェント川のほとりに設立されたクロムフォード工場では水力が利用された。…
…ところが18世紀後半以後,イギリスで綿織物をつくるための種々の機械がつぎつぎと発明され,綿織物生産は飛躍的に増大するとともに,綿織物工業は産業革命の重要な担い手ともなった。すなわち1733年のJ.ケイの飛杼(とびひ)の発明に始まった織機の改良は,64年J.ハーグリーブズの数個の紡錘をもつ多軸紡績機の発明,68年のR.アークライトによる水力紡績機の発明,さらに85年E.カートライトの蒸気機関を利用した力織機まで続き,綿織物工業は産業革命期のイギリスにおいて飛躍的な発展をとげた。 その後,綿織物工業はイギリスから他のヨーロッパ諸国,そしてアメリカに普及し,とくに19世紀末あたりからはアメリカ南部の綿花地帯に盛んになっていった。…
※「アークライト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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