佐藤敬(読み)サトウ ケイ

20世紀日本人名事典 「佐藤敬」の解説

佐藤 敬
サトウ ケイ

昭和期の洋画家



生年
明治39(1906)年10月28日

没年
昭和53(1978)年5月8日

出生地
大分県大分町(現・大分市)

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科〔昭和5年〕卒

経歴
大分中時代から油絵を始め、大正14年上京、川端画学校洋画部に入る。翌年東京美校に入学。昭和4年帝展初入選。5年美校卒業後、サロン・ドートンヌに入選。7年帝展に特選海老原喜之助、鳥海青児らと交友。11年文展無鑑査となるが、同年猪熊弦一郎、小磯良平、脇田和らと反官展の新制作派協会(現・新制作協会)を創立した。戦後、美術団体連合展などに多く作品を出したが、27年再び渡仏、パリで抽象画に転向し、高い評価を受けた。代表作に「道化師」「スペインの女」「ノートル・ダム」「表面」「内部の皮」などがある。また、挿絵の仕事に大仏次郎の「帰郷」や石坂洋次郎青い山脈」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「佐藤敬」の意味・わかりやすい解説

佐藤敬【さとうけい】

洋画家。大分市生れ。東京美術学校在学のまま1930年パリに留学し,1932年帝展で特選となる。1936年新制作協会の創立に参加し,1952年以降パリで活躍ヨーロッパの現代絵画を吸収し,感覚的近代主義ともいうべき独自の洗練された作風展開,晩年は抽象表現に向かっていた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤敬」の解説

佐藤敬 さとう-けい

1906-1978 昭和時代の洋画家。
明治39年10月28日生まれ。パリ留学中の作品「ル・クルン(道化者)」が昭和7年帝展特選。帰国後,新制作派協会の創立に参加。再度フランスにわたり,サロン-ド-メなどの国際展で活躍,しばしば受賞。妻は声楽家佐藤美子(よしこ)。昭和53年5月8日死去。71歳。大分県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品はほかに「ノートル・ダム」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐藤敬」の解説

佐藤 敬 (さとう けい)

生年月日:1906年10月28日
昭和時代の洋画家
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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