李広田(読み)りこうでん(その他表記)Lǐ Guǎng tián

改訂新版 世界大百科事典 「李広田」の意味・わかりやすい解説

李広田 (りこうでん)
Lǐ Guǎng tián
生没年:1906-68

中国詩人散文作家山東省済南の人。郷土の自然風物をこよなく愛した,その淳朴叙情的散文作風は多くの読者を魅了する。詩人としては卞之琳(べんしりん)や何其芳との合集《漢園集》(1936)をもつ。抗戦中,昆明西南聯合大学教鞭をとるかたわら長編小説引力》を完成。解放後は清華大学から雲南大学校長に転任,民間文学の整理研究にも尽力した。雲南少数民族サニ(撒尼)人(イ(彝)族に含まれる)の長編叙事詩《アシマ(阿詩瑪)》を再整理し,その映画化に際しては文学顧問をつとめたが,文化大革命中その映画化をめぐって批判,迫害をうけ死去した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李広田」の意味・わかりやすい解説

李広田
りこうでん / リーコワンテン
(1906―1968)

中国の詩人、小説家。山東省鄒平(すうへい)県の人。山東第一師範在学中、文学運動のために逮捕され入獄北京(ペキン)大学に進み詩作開始。筆名に黎地(れいち)、曦晨(ぎしん)なども使用。知性派詩人として出発。のち昆明(こんめい)の西南連合大学、天津(てんしん)南開大学、北京の清華大学教授を歴任、雲南大学学長となる。詩集『春城集』(1958)、詩論集『詩的芸術』(1944)、散文集『銀狐集』(1936)、『画廊集』(1936)など。小説『引力』(1948)は、日本軍占領地区の一女教師を描き、その生彩ある叙情が注目された。

[秋吉久紀夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李広田」の意味・わかりやすい解説

李広田
りこうでん
Li Guang-tian

[生]光緒32(1906)
[没]1968. 昆明
中国の詩人,小説家。山東省の人。北京大学周作人に学び,初め象徴派詩人として,詩,散文を発表。抗日戦争中は昆明の西南連合大学で教壇に立ち,戦後は清華大学,雲南大学で副校長などをつとめた。戦争中の体験をもとにした小説『引力』 (1946) で知られ,さらに『西行記』などの紀行文があるが,文化大革命中に批判されて自殺したと伝えられる。

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百科事典マイペディア 「李広田」の意味・わかりやすい解説

李広田【りこうでん】

中国の詩人,作家。山東省の生れ。初め象徴派の詩人として出発,散文にも才能を示した。日本占領下の女教師の抵抗を描いた長編小説《引力》がある。解放後は文学教育に力を注ぐ。

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367日誕生日大事典 「李広田」の解説

李 広田 (り こうでん)

生年月日:1906年10月1日
中国の詩人,小説家
1968年没

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