最新 心理学事典「依存症」の解説
いそんしょう
依存症
dependence syndrome
【物質依存substance dependence】 物質依存(薬物依存drug dependence)とは,2000年の『精神障害の診断と統計の手引き』第4版の修正版(DSM-Ⅳ-TR)で「臨床的に重大な苦痛を引き起こす物質使用の不適応的な様式」,1990年の『国際疾病分類』第10版(ICD-10)では「ある物質あるいはある種の物質使用が,その人にとって以前にはより大きな価値をもっていた他の行動より,はるかに優先するようになる一群の生理的,行動的,認知的現象」と定義される状態である。物質依存には摂取量や回数の増加,使用の中止や減量による離脱症状の出現,摂取時間や量のコントロール不能,減らしたりやめようとしたりする努力の不成功,薬を求める時間の増加,学業や仕事,家庭・社会における役割の放棄,心身に対する有害性を知りながらの使用継続といった特徴がある。
依存を起こす薬物は,覚醒剤,カフェイン,コカイン,ニコチンなど中枢神経系に対して興奮作用をもつもの,アルコール,大麻,吸入剤(有機溶剤),あへん類,鎮静剤・睡眠剤・抗不安剤など抑制作用をもつもの,幻覚剤,フェンサイクリジンなどのように幻覚作用をもつものに大別される。このような薬物にはヒトに強迫的な欲求を起こさせる性質があり,これを精神依存形成能psychological dependence producing potentialという。また,抑制作用をもつ薬物を常用していると,体内に一定濃度以上の薬物が存在している状態で正常な生理機能が営まれ,血中濃度が低下すると種々の退薬症候withdrawal signsが現われるようになる。薬物のこのような性質を身体依存形成能physical dependence producing potentialという。
依存状態から起こる問題は薬物ごとに異なる。主な問題として,覚醒剤では幻覚・妄想などの精神病状態の遷延化,カフェインでは急性中毒による循環器障害,コカインでは精神病状態と循環器障害,ニコチンでは受動喫煙を含む循環器障害や発癌,アルコールでは慢性中毒による各種の臓器障害,人間関係の崩壊,飲酒運転,大麻では急性酩酊状態に加えて慢性使用による認知機能障害,吸入剤では人格の変容を伴う無動機症候群,あへん類では激烈で致死的な禁断症状(退薬症候),鎮静剤・睡眠剤・抗不安剤では記憶障害や退薬による不安・不眠など,幻覚剤では認知機能の低下や恐慌発作,フェンサイクリジンでは自閉,認知機能障害などの精神病状態がある。
【物質によらない依存】 近年,薬物以外の対象にも依存症になることがあるのではないかという「ノン・ケミカルな依存」の問題がクローズアップされている。その代表的なものには,病的賭博(ギャンブル依存),乱費癖(オニオマニア,買物依存),インターネット依存などがある。これらは,ICD-10では「明らかな合理的動機のない,そしてたいていの場合,患者自身および他の人びとの利益を損なう反復的行為によって特徴づけられる」習慣および衝動の障害,DSM-Ⅳ-TRでは「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」とされている。しかし,とくにアメリカの精神医学界には,強迫的な欲求の存在,離脱による不快感や抑うつ気分など,物質依存との類似点が多いことに着目して,これらを依存症のカテゴリーに入れるか,もしくは嗜癖という概念を復活させるべきであるという議論がある。これに対してICD-10では,たとえば病的賭博の強迫性は「専門的な意味では強迫ではない」として,依存症とは一線を画す概念化が行なわれている。物質によらない依存が依存症の一種であるかどうかは現在進行中の議論であり,世界的に見た場合には依存症の概念が薬物以外の対象に拡張されているとはいえない。今後,神経科学的な研究の進展によって,こうした行動と物質依存の類似点と相違点が解明されることが期待される。
【依存症の神経機構】 精神依存形成能をもつ薬物には強化効果reinforcing effectとよばれる効果があり,一部の幻覚剤を除いて動物実験でその効果が証明できる。たとえば,静脈内にカテーテルを植え込んだ動物に対して,ある反応に随伴させて一定量の薬液を注入すると,その反応の生起頻度が増加する。すなわち,これらの薬物はオペラント条件づけにおける正の強化子として作用する。また,薬物効果と連合させた環境刺激に対して,動物が接近行動を起こす現象も知られており,このような薬物効果を報酬効果rewarding effectとよぶ。強化効果や報酬効果の背景には,中脳の腹側被蓋野から側坐核,嗅結節,大脳基底核に投射する中脳辺縁系ドーパミン作動性神経経路mesolimbic dopaminergic pathwayに対する作用がある。この経路を電気刺激すると強い強化効果が見られることから,この経路は脳内報酬系brain reward systemともよばれる。強化効果をもつ薬物は,さまざまな受容体receptorや輸送体transporterなどに対する作用を介して,直接・間接に側坐核の細胞外ドーパミンの濃度を増加させる。電気生理学的研究やヒト脳機能の画像解析研究から,このドーパミン作動性神経は一種の予測誤差信号を発生させ,ヒトや動物の行動を適応的に変化させる役割を果たしていることがわかっている。薬物によってこのドーパミン作動性神経が過剰に活動することは,生存とは直接関係のない対象に対する強迫的な欲求,すなわち渇望の発生に関係があるものと考えられる。一方,薬物を摂取した後に生じる多幸感や満足感には,やはり脳内の報酬系がかかわっているが,ドーパミン作動性神経よりもGABA(γアミノ酪酸)作動性神経系やβ-エンドルフィンやエンケファリンなどの内因性オピオイドの関与が大きいとされる。
依存の背景には,このような脳内報酬系の働きに加えて,海馬や扁桃体といった記憶・情動系,感覚情報の統合的な評価や意思決定にかかわる前頭眼窩野や前部帯状皮質,行動を抑制的に調節する背外側前頭連合野などの総合的な関与がある。また,シナプス後のドーパミン受容体が刺激された後に起こる一連の細胞内情報伝達機構の変化,すなわち各種の酵素の活性化やタンパク質のリン酸化,核内の遺伝情報の読み出しによる新規タンパク質の合成,その結果として生じるシナプスの伝達効率の変化なども依存の進行に伴う重要な変化である。
ノン・ケミカルな依存にこれらの神経機構がどの程度関与しているのかは,今後の重要な研究課題である。実際,報酬系は金銭の損得にも敏感に反応する。また,「ランナーズ・ハイ」として知られる激しい運動時の恍惚感には内因性オピオイドが関与している。すなわち,多様な行動の形成と維持にかかわる神経機構が薬物依存と共通している可能性がある。 →覚醒剤 →幻覚剤 →神経伝達 →脳内報酬系
〔廣中 直行〕
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