16世紀初葉から1世紀以上ヨーロッパ諸国で続いた長期的な物価騰貴をいう。15世紀末のアメリカ大陸発見後,アメリカ大陸貿易はスペイン王室の保護の下にセビリャ商人の手で独占的に進められた。その輸入品の大部分はアメリカ大陸産貴金属,とりわけ銀であり,とくに16世紀中葉のボリビアのポトシ,メキシコのサカテカス,グアナフアトなどの豊富な銀山の開発,水銀アマルガム法による銀製錬技術の適用,低廉な原住民の賦役労働により銀生産は飛躍的に増大し,その輸入は16世紀後半にはいって激増し,スペインを経てヨーロッパの市場にあふれた。物価騰貴の主要な原因の一つは,この貴金属の大量流入と貨幣の改鋳とによる貨幣供給量の増大であり,貨幣供給量の増大は物価騰貴をひきおこす一方で利子率の長期的な低下をもたらした。また,黒死病(ペスト)の終息以後ヨーロッパに起こった顕著な人口増加も物価騰貴の原因として注目され,価格革命においてヨーロッパ諸国で共通にみられた現象--農産物価格の騰貴がとりわけいちじるしかったこと,実質賃金の低落,地代の上昇など--は食料需要,労働および土地市場にたいする人口圧力の結果だと考えられる。価格革命の影響は単純ではなく,また国によって一様ではないが,貨幣供給量の増大と利子率の低下,持続的な物価騰貴による利子の実質的負担の軽減はヨーロッパ経済に取引と投資の大きい可能性をあたえ,地主の富裕化をみちびいた農産物価格と地代の顕著な上昇は資本蓄積において重要な仲介的役割を地主に演じさせた。
→商業革命
執筆者:竹岡 敬温
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
16世紀初め以降、中南米の銀が大量に流入したため、ヨーロッパの物価が数倍に高騰したことをいう。15世紀末、大航海時代を先導した一国、スペインにより、メキシコや南アメリカの主要部分は、1530年代ごろまでにヨーロッパに知られるようになった。とくに1545年ペルーのポトシ、48年メキシコのサカテカなど豊富な銀山が発見され、71年水銀アマルガム法の導入で銀産出量が急増した。これらの莫大(ばくだい)な銀は、16世紀初めから約1世紀半にわたり、ヨーロッパ商品との交換で、主としてセビーリャ商人により独占的にまずスペインへ流入し、現地および本国で銀貨に鋳造された。その流入総額は正確にはわからないが、一説には4億4782万0932.3ペソともいわれ、16世紀最後の10年間にピークに達し、年平均約703万7000ペソに及んだといわれる。そのため本国では金に対する銀の比価が、ほぼ1対10から15に暴落、したがって銀貨の価値下落に伴う異常な物価騰貴が起こった。物価はまず銀の陸揚げされたセビーリャを中心としてアンダルシアで高騰を始め、16世紀初めの20年間に約34%から56%、さらに20年間に約52%騰貴した。ついで新カスティーリャ、旧カスティーリャ、レオンに波及し、やがてフランス、イングランド、イタリアに及んだ。マドリードではこの1世紀半の間に物価は約13倍に騰貴したともいう。
[飯塚一郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
16世紀中葉以降,中南米より大量の金銀が流入したため,ヨーロッパの物価が一般に2~3倍に高騰したことをさす。まずスペインで起こり,アムステルダムを通じて全ヨーロッパに波及した。この急激な高騰は,当時勃興期の資本主義的生産を一般的に促進したとみられるが,各国によって影響の仕方はまちまちである。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…両国は1493年のローマ教皇勅書によって事実,全世界を二分するのである。 スペインに流入した銀は,中世以来フッガー家などの財政を支えてきた南ドイツ銀山を壊滅させながら,スペインの帝国政策の代償として全ヨーロッパに拡散,これが一因となってヨーロッパ全域に激しい物価騰貴を引き起こす(価格革命)。このインフレをうまく利用して企業活動を展開したイギリスのジェントリー層は経済力を高め,イギリスの国力伸張に寄与した。…
※「価格革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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