バスコ・ダ・ガマの東インド航路の発見(1498)とコロンブスによる新世界の発見(1492)をはじめとするいわゆる〈地理上の発見〉(大航海時代)によって,世界貿易の構造が一変し,またその結果としてヨーロッパ内部に勢力の交替や経済,社会,生活上の変化が生じたことをいう。ポルトガルが喜望峰経由の新航路によってアジアに進出した結果,地中海経由の東方貿易で繁栄していたイタリア諸都市は打撃をうけ,17世紀になってより強力なオランダやイギリスがアジア貿易を展開すると,完全に没落した。他方,新世界では,とくに1540年代以後ポトシ銀山を中心とするペルーとサカテカス銀山を中心とするメキシコで大量の銀が産出され,その大部分がスペインに流入した。こうして,ポルトガル,ついでスペインが世界強国として勃興する。両国は1493年のローマ教皇勅書によって事実,全世界を二分するのである。
スペインに流入した銀は,中世以来フッガー家などの財政を支えてきた南ドイツ銀山を壊滅させながら,スペインの帝国政策の代償として全ヨーロッパに拡散,これが一因となってヨーロッパ全域に激しい物価騰貴を引き起こす(価格革命)。このインフレをうまく利用して企業活動を展開したイギリスのジェントリー層は経済力を高め,イギリスの国力伸張に寄与した。しかし,ヨーロッパに流入した銀の大部分は,ポルトガルのインド省やイギリス,オランダ両国の東インド会社などによってアジアに転送され,当初はコショウや香料と,ついでインドの綿布や中国の茶と交換された。
原住民インディオの労働に支えられた新世界の銀生産は17世紀の20年代くらいから枯渇しはじめる。これに代わって重要になるのが,すでにブラジルで展開されていた砂糖生産である。サトウキビ栽培の中心はやがてイギリス領およびフランス領の西インド諸島に移るが,この産業はつねに大量の黒人奴隷を必要としたために,西アフリカからの奴隷貿易を軸として,〈三角貿易〉が成立した。ヨーロッパからアフリカに火器や綿布が送られ,西アフリカでそれをニグロ奴隷にかえ,これを新世界の砂糖プランテーションで砂糖にかえるものである。
商業革命はこうして,新世界やアジア,アフリカから多数の新商品をもたらし,商人階級はもとより,資本家的地主をも勃興させ,港湾都市を成長させることで,ヨーロッパ人の生活をも一変させた。これを〈生活革命〉と呼ぶ。
執筆者:川北 稔
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11世紀から13世紀にかけて、とくに十字軍以後の東西ヨーロッパでは遠隔地商業が一時革命的発展をみた。その後15世紀初めごろから開始される大航海時代に、クリストバル・コロン(コロンブス)による新大陸への航路、バスコ・ダ・ガマのアフリカ南端回航による東洋への新航路などが開発された。その結果、ヨーロッパでは、それまでの地中海および北海、バルト海を中心とする、主としてイタリア商人の活躍した商業圏が構造的に衰退し、セビーリャ商人とカディス商人を主体とするスペインの新大陸=西インド貿易(毛織物などのヨーロッパ産物と新大陸の銀との交換)と、ポルトガルを中心とする東洋=東インド貿易(中国の絹、東南アジアの香料、日本の銅・銀などを主体とする半強制的貿易)がこれにかわった。商圏が世界的規模に拡大され、約1世紀にわたりイベリアの2国がその支配体制を確立する。一般にこれを商業革命とよぶが、新大陸からの莫大(ばくだい)な量に上る銀の流入は、スペインをはじめヨーロッパに価格革命と称する物価騰貴をもたらし、中世末期まで栄えた南ドイツの銀山は衰退し、ヨーロッパ商業資本の発展の陰に大きな構造的変化をもたらした。やがてオランダ、イギリスの商業資本が主として東インド商業圏に侵入し、さらには大英植民地帝国に代表される帝国主義時代につながる先駆的役割を果たした。これを近代資本主義形成の一つの支柱とする考え方もある。
[飯塚一郎]
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大航海時代に生じた世界的規模の商業・貿易システムの転換のこと。スペインが中南米に広大な植民地を獲得,そこから大量の銀をヨーロッパにもたらし,また,ポルトガルがアジアに進出して香辛料貿易で大きな利益を得るなど,16世紀にヨーロッパの遠隔地貿易は,商品の種類・取引額の拡大をみるとともに,その中心を地中海から大西洋沿岸諸国へと移動させた。なお,17世紀半ばからのほぼ1世紀間にイギリスの貿易が飛躍的に増大し,そこで非ヨーロッパ世界が占める比重が高まった現象も商業革命と呼ばれる。
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…それが産業資本主義の確立を伴ったという意味では,資本と労働の供給,原料供給や製品市場が問題となる。これらの条件を歴史的に準備したのは,エンクロージャーをはじめとする農業の変革(いわゆる〈農業革命〉)と,重商主義帝国の形成を背景とした貿易の成長(いわゆる〈商業革命〉)であったといえよう。エンクロージャーやノーフォーク農法(輪栽式農業)の採用によって,一方では農民は土地に対する権利を失って賃金プロレタリアート化したが,他方では,農業の生産性が高まって,人口増加が可能になった。…
…17世紀中にこのような大転換が生じたのである。【清水 広一郎】
[近代ヨーロッパと世界商業]
バスコ・ダ・ガマのインドへの航海とコロンブスの新世界の発見によって幕を開けた〈大航海時代〉には,ヨーロッパを中心とし,アジア,アフリカ,アメリカ(南北両大陸,カリブ海を含む)を結ぶグローバルな商業のネットワークが成立した(いわゆる商業革命)。アジアやアメリカの特産物=ステープル(メキシコやペルーの銀,ブラジル,カリブ海の砂糖,バージニアなどのタバコ,アジアの香料やコショウ,茶など)がヨーロッパにもたらされ,毛織物その他の雑多な工業製品がアメリカに送られ,アジアには主として銀が送られた。…
※「商業革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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