保呂羽山波宇志別神社(読み)ほろはさんはうしわけじんじや

日本歴史地名大系 「保呂羽山波宇志別神社」の解説

保呂羽山波宇志別神社
ほろはさんはうしわけじんじや

[現在地名]大森町八沢木

保呂羽山は八沢木やさわぎ北西にあり、夜叉鬼山やしやぎさん(奥羽永慶軍記)の異記もある。標高四三八メートル。近世には秋田・亀田・矢島三領境が接した。「鷲の羽多く飛来れば保呂羽山と号す」(柞山峯之嵐、奥羽永慶軍記)というが異説もある(雪の出羽路)。保呂羽山頂に鎮座する波宇志別神社は「延喜式」に名がみえ、祭神安閑天皇。社伝によれば、神主大友家の祖先平鹿郡夜叉鬼城主大友右衛門太郎藤原吉親が、天平宝字元年(七五七)霊夢により「大和吉野・金峯山の蔵王権現」を勧請したのが始まりという(奥羽永慶軍記、柞山峯之嵐)。しかし「保呂羽山御開山以来諸事之証文共、系図等一切」を火災で焼失(雪の出羽路)。保呂羽山波宇志別神社の創祀蔵王権現奉斎の伝承は、山岳信仰に古代末期から中世にかけて普及した修験道が重なり、土豪大友氏の勢力伸張と結びついて成立したものと考えられる。江戸期の「金峯山波宇志分ノ神社」(湯沢町方肝煎留書)、「保呂羽山天国寺」(雪の出羽路)などの山号・神号・寺号の混淆も神仏習合を示している。

「雪の出羽路」によれば天正年間(一五七三―九二)横手城主小野寺義道より寄進された社領五〇〇石を八沢木村、上溝うわみぞ村、猿田さるた村の地に持ったという。天正一八年仙北諸将が色部長真にあてた起請文中に「殊に当郡の(鎮)守、保呂羽(山カ)荒神(色部文書)とあり、慶長五年(一六〇〇)山形の最上義光角館かくだての戸沢九郎五郎にあてた起請文中にも鳥海と並べて保呂羽山をあげ神々に誓っている(戸沢文書)など、保呂羽山の信仰圏は秋田中南部・山形北部にまでわたっている。ただし文禄三年(一五九四)の秋田実季家臣連署の起請文には、保呂羽の神はあがっていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「保呂羽山波宇志別神社」の解説

保呂羽山波宇志別(ほろわさんはうしわけ)神社

秋田県横手市にある神社。延喜式内社神楽殿は国の重要文化財、毎年11月に行われる「保呂羽山の霜月神楽」は国の重要無形民俗文化財指定

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