神楽の一系統。伊勢神宮で古くから行われていた神楽。明治維新のおりに絶えたが、この系統の神楽は各地に広く分布し、いまも盛んに行われている。伊勢神宮に神楽が古くからあったことは981年(天元4)伝写の『琴歌譜(きんかふ)』の「伊勢神歌」、鎌倉時代初期の『建久内宮(けんきゅうないくう)年中行事』の神楽の記事などでわかる。また天文(てんぶん)11年(1542)の奥書をもつ神楽歌本を最古として、多くの神楽歌諸本が伝わり、これらの歌のうたわれた神楽はもと外宮(げくう)の神楽役人が執り行っていた。神楽役人は摂社、末社の各社に属し、社(やしろ)神楽と称する神楽を行った。この各社それぞれの歌が、神楽歌本のように一連の歌に整えられたのは、霜月(しもつき)(陰暦11月)13日に楽人たちが一口頭太夫(いっくとうたゆう)の家に集まって、年に一度の寄合(よりあい)神楽と称する祈願の神楽を催すようになってからのことだといわれる。世の中が太平になり、神楽奉納、あるいは臨時祭の申し込みが多くなってからは、御師(おし)の家の神殿でも神楽が行われるようになった。神楽に大小の区別ができたのは、大永(たいえい)年間(1521~1528)前後といわれ、のちには太々(だいだい)神楽も生まれたが、この区別は主として奉賽(ほうさい)の多少によった。太々神楽の次第は二十数段よりなり、神事舞の主要な段には湯立(ゆだて)(大釜(おおがま)の熱湯を巫女(みこ)や神職が笹(ささ)の葉で振りかける祓(はらい)の行事)が伴った。伊勢で奉納神楽が盛んになったのは、正保(しょうほう)(1644~1648)ごろからといわれる。伊勢流の神楽は湯立神楽あるいは霜月神楽ともいわれるように、湯立が中心をなしている点に特色がある。秋田県横手市保呂羽山(ほろわさん)を中心とした一帯のほか、愛知、長野県下には花祭、冬祭、遠山(とおやま)祭の名称で数多く分布しており、さらに関東の鎌倉付近から伊豆三宅島(みやけじま)にも及ぶなど、出雲(いずも)流神楽とともに神楽の一大系統をなしている。
[高山 茂]
『本田安次著『霜月神楽の研究』(1954・明善堂)』▽『本田安次著『神楽』(1966・木耳社)』
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