保村(読み)ほうむら

日本歴史地名大系 「保村」の解説

保村
ほうむら

[現在地名]河合村保

中央よりやや東を小鳥おどり川が北流し、北は天生あもう村・つき村、東は稲越いなごえ村。集落は小鳥川右岸段丘に多く集まっていた。文明三年(一四七一)五月三日の信広・善祐連署置文(大屋利喜雄氏所蔵文書)に「保宇とあものさかいの事」とあり、天生村との山境が定められた。憶念おくねん寺蔵の方便法身尊像に同一八年の蓮如の裏書があり、「飛騨国白川善俊門徒、同国富安郷向小嶋保願主釈善性」とある(飛州志)憶念寺は現在は古川ふるかわ下気多しもきたに移転している。

慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳では小鷹利こたかり郷に属し、ほう村とあり高二〇〇石。元禄検地反歩帳では高一〇三石余、田七町六反余・畑一三町五反余。「飛騨国中案内」では免三割六分九厘余、家数四五(うち寺一・百姓三二・門屋一一・商人一)


保村
ほうむら

[現在地名]早川町保

早川を挟んで草塩くさしお村・きようしま村の対岸に位置し、南は雨畑あめはた村、北は同川支流の保川を境として西之宮にしのみや村に対する。西は駿河との国境までの山を村域とし、雨畑村との間には金を多く産出した大金おおがね山がそびえる。早川入一八ヵ村の一。枝村として柳島やなぎしま神長島かんなしまがある。当村の西から南にかけて続く山嶺は中世から金の産出で知られる。天文一九年(一五五〇)七月三日、望月善左衛門尉は「ほゝ」に新恩地を認められているが(「穴山信友判物」望月誠一家文書)、これは「近年」になって本拠地の黒桂つづらから保へも金採掘の活動が広がったのを背景にしてのことと考えられ、この時点での集落の存在が推定できる。


保村
ほうむら

[現在地名]東伯町保

あらい川下流右岸の沖積扇状地に位置し、同川を挟んで西は笠見かさみ村と対する。南は金市かないち村。正保国絵図に法村とみえる。拝領高は二二一石余、本免は四ツ六分。藪役銀九匁を課されていた(藩史)。津田氏の給地で(給人所付帳)、幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高二二四石余、竈数一六。文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)では家数一七・人数七〇、元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数一六で、うち余業五(水車二、綿打・紺屋・桶屋各一)


保村
ほむら

[現在地名]吉川町保・中川台なかがわだい

平沼ひらぬまの南に位置し、村の西を古利根川、村内中央を二郷半領にごうはんりよう用水が貫流する。田園簿に村名がみえ、田高五一六石余・畑高七〇石余で幕府領、ほかに野銭永一一二文。元禄八年(一六九五)検地の際、中野なかの新田(中野村)を分村したため元禄郷帳では高四四三石余に減じた。化政期の家数三四(風土記稿)。天明七年(一七八七)二郷半領など三ヵ領の古利根川筋諸村が出洲浚いを行ったが、藻草の刈払いは川沿いの各村で処理してきたとして、当村やせき村・川野かわの村はその確認を求めている(「古利根川浚一件」四条村文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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