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戦略兵器制限交渉 せんりゃくへいきせいげんこうしょうStrategic Arms Limitation Talks; SALT

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

戦略兵器制限交渉
せんりゃくへいきせいげんこうしょう
Strategic Arms Limitation Talks; SALT

アメリカ,ソ連両国の間で 1969年から 79年まで続けられた戦略兵器制限に関する交渉。第1期 (SALT I) は 69年 11月から行われ,第1次戦略兵器制限取決めは 72年5月 26日に調印,弾道ミサイル迎撃ミサイルABM制限条約戦略的攻撃兵器制限暫定協定が結ばれた。 ABM制限条約については 74年7月3日にその付属議定書が調印された。攻撃兵器制限に関しては,第2次戦略兵器制限取決めを目指す交渉 (SALT II) が 72年 11月に始められ,74年 11月の交渉で新協定の大枠について合意が成立,79年6月 18日,ウィーンで J.カーター大統領と L.I.ブレジネフ書記長との間で新協定が結ばれた。

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百科事典マイペディアの解説

戦略兵器制限交渉【せんりゃくへいきせいげんこうしょう】

strategic arms limitation talks,略称SALT(ソールト)。第1次交渉は米ソ間で1969年11〜12月に予備交渉,1970年4月から本交渉が始まった。
→関連項目信頼醸成措置

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世界大百科事典 第2版の解説

せんりゃくへいきせいげんこうしょう【戦略兵器制限交渉 Strategic Arms Limitation Talks】

略称SALT(ソールト)。一般には大陸間弾道ミサイル(ICBM),潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)とそれを搭載する潜水艦,大型長距離爆撃機とそれが搭載する核爆弾,空中発射巡航ミサイル(ALCM),およびこれらのミサイルの核弾頭などの規制交渉を指す。
[SALT I]
 米ソは,1969年から第1次戦略兵器制限交渉(SALT I)を開始し,72年5月に二つの取決めに調印した。一つは弾道ミサイル迎撃ミサイル(ABM)制限条約(ABM条約)である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

戦略兵器制限交渉
せんりゃくへいきせいげんこうしょう
Strategic Arms Limitation Talks

SALT(ソルト)と略称される。アメリカとソ連が、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、爆撃機などの数量的規制を目ざして行った交渉。1969年から始まったSALT-は、1972年5月26日に次の二つの取決めを生み出した。一つは、対弾道ミサイル(ABM)システム制限条約(通称ABM条約)で、ABMシステムの配備を禁止し、首都とICBM基地の2か所(各100基、計200基)だけの配備を例外として容認した。米ソは1974年7月3日、同条約の議定書に合意し、ABMシステムの配備はさらに米ソ各1か所に制限された(同条約は2002年6月失効)。もう一つは、ICBM、SLBMの発射基数およびSLBM搭載潜水艦隻数に上限を設けた戦略的攻撃兵器制限暫定協定である。両国の戦略的攻撃戦力を現状に凍結する上限を設けたもので、当時の両国の保有数はICBM、SLBM、潜水艦隻数はそれぞれアメリカが1054基、710基、44隻、ソ連が1618基、950基、62隻であった。防衛兵器を最小限に制限し攻撃兵器に制限ともいえない高い上限を設けることで、米ソは相互に相手国の国民・社会・産業などを人質にとる相互確証破壊態勢において核抑止体制を制度化した(SALT-協定は1977年10月失効)。
 第二次交渉(SALT-)は1972年12月に始まり、1974年に取決めの原則合意にこぎ着けた。その後も交渉はソ連のバックファイア爆撃機とアメリカの巡航ミサイルの扱いをめぐって難航したが、1979年6月18日、米ソは(第二次)戦略的攻撃兵器制限条約(SALT-条約)に調印した。SALT-協定がソ連に数的優位を認めたとしてアメリカ国内から批判を受けたため、同条約は戦略兵器総数に米ソ同数の上限を設けた。総枠としてICBM、SLBM、重爆撃機、空対地弾道ミサイル(ASBM)の合計の上限を2400(1981年以降は2250)基機、その内枠として個別誘導複数目標弾頭(MIRV)化ICBMのみの上限を820基、これにMIRV化SLBMとASBMを加えた合計の上限を1200基、さらに射程600キロメートルを超える巡航ミサイル搭載の重爆撃機を加えた合計の上限を1320基機とした。当時の米ソのミサイルなどの保有数からみて非常に高い上限であり、実質的な制限とはいえなかった。米ソ関係が悪化するなかでの難交渉のすえに生まれた条約であったが、調印直後にソ連がアフガニスタンに侵攻、アメリカ上院が批准審議を打ち切ったため同条約は発効しなかった。1981年に発足したレーガン政権は、SALTを軍縮に結びつかず、また交渉するほどアメリカに不利になるとして軍備管理交渉の全面的見直しをはかった。このため交渉は2年以上にわたり休止した後、1982年から新たな戦略兵器削減交渉(START(スタート))に引き継がれた。[納家政嗣]
『梅本哲也著『核兵器と国際政治 1945―1995』(1996・日本国際問題研究所)』

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