昭和期の中国語学者,中国文学者 東京大学名誉教授;京都大学名誉教授;日中学院院長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
中国語学者。新潟県高田(上越市)に生まれる。東京帝国大学支那(しな)文学科を出て、中国学者狩野直喜(かのなおき)を慕い京都帝国大学大学院に学んだ。昭和初期、北京(ペキン)に留学後、漢文訓読を排して中国語音による直読(ちょくどく)を開始、京大では清朝小学(しんちょうしょうがく)(中国古典語研究)の方法を整理し紹介した。1940年(昭和15)から東大教授を兼任、前後して新構想による中国語教科書と中日辞書を編集し、『支那語教育の理論と実際』では従来の漢文教育を批判して中国古典学の研究法を提唱した。第二次世界大戦後、東大に専任、退官後は中国語専修の日中学院を創設(1964)し、『中国語辞典』の刊行(1963)とあわせて、日本の中国語教育に革新的な影響を与えた。
[戸川芳郎 2018年10月19日]
『『倉石武四郎著作集』全2巻(1981・くろしお出版)』
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日本の中国語学者。新潟県生れ。東大中国文学科を出て,中国学者狩野直喜(かのなおき)を慕って京大大学院に学ぶ。昭和初期,北京に留学後,漢文訓読を排して中国語音による直読を開始,京大では清朝小学(古代漢語の史的研究)の方法を紹介した。1940年から東大教授を兼任,前後して新構想の中国語教科書を編み《支那語教育の理論と実際》で漢文教育を批判し,中国古典学の研究法を提唱。戦後,東大に専任,退官後は中国語専修の日中学院を創設し,《中国語辞典》の公刊とあわせて,日本の中国語教育に絶大な影響を残した。
執筆者:戸川 芳郎
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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