故宮博物院(読み)コキュウハクブツイン

デジタル大辞泉 「故宮博物院」の意味・読み・例文・類語

こきゅう‐はくぶついん〔‐ハクブツヰン〕【故宮博物院】

中国北京ペキンにある博物館時代の紫禁城故宮)の建物に、数十万点の古書・美術工芸品・考古出土品などを収蔵している。1925年開設。国立故宮博物院。
台北タイペイにある博物館。1949年、戦火を避けるために所蔵品の一部台湾に移送したもの。1965年開設。国立故宮博物院。
香港ホンコンにある博物館。から貸与された所蔵品を展示する。2022年開設。香港故宮文化博物館。

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精選版 日本国語大辞典 「故宮博物院」の意味・読み・例文・類語

こきゅう‐はくぶついん‥ハクブツヰン【故宮博物院】

  1. 中国、北京市の紫禁城にある美術館。一九二五年開設。四九年に数万点の宝物が台湾に運ばれ、六五年に台北市にも設立。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「故宮博物院」の意味・わかりやすい解説

故宮博物院[台北]
こきゅうはくぶついん[たいぺい]

タイワン(台湾)タイペイ(台北)市にある,中国歴代王朝が保有した芸術品多数を収蔵する博物館。第2次世界大戦後,北京の故宮博物院から移したものを中心に収蔵する。所蔵品,文書等は 65万点をこえる。中核となる品々は,かつて中国,北京の紫禁城に所蔵されていたもので,それらはおもに朝の乾隆帝(在位 1735~96)の幅広い収集活動の成果であった。これらの芸術品を乾隆帝と後代皇帝は個人所蔵品として宮廷に保有していたが,1925年に国民政府が宮廷を故宮博物院として公共機関に転用した。1930年代に日本が中国北部へ侵攻すると,当時の政府は故宮博物院の収蔵品の一部を南京へ,次いで上海その他へと移送した。これら散逸した文物は第2次世界大戦後,南京に再度集められた。しかし国共内戦末期の 1948~49年,撤退する中国国民党軍により,南京の中央博物院,およびその他の公共文化機関の収蔵品とともに,厳選された品々が台湾へ運ばれ,台中で安置されていた。1965年台北に新設された博物館にそれらの品が集められ,全体をまとめて故宮博物院と呼ぶようになった。故宮博物院の収蔵品は朝から清朝にわたる中国芸術の変遷を物語る。所蔵絵画には,清の各王朝時代の名作絵画が多数含まれており,おそらく世界最高の中国絵画コレクションである。ほかにも青銅器陶磁器翡翠彫刻漆器,ほうろう器,装飾彫刻,刺繍・織物工芸品,書物,書,古文書を大量に収蔵する。

故宮博物院[北京]
こきゅうはくぶついん[ぺきん]
Gu-gong bo-wu-yuan

中国ペキン(北京)直轄市紫禁城内にある博物館。1914年に紫禁城および瀋陽行宮,熱河行宮に所蔵されていた宝物類を展示する古物陳列所が設立され,1925年に故宮博物院として開館した。第2次世界大戦中に一部を遺失し,戦後十数万点の物品タイワン(台湾)へ持ち出されてタイペイ(台北)市故宮博物院に展示されている。おもな出土品にはの歴代皇帝が収集した書画,中山靖王劉勝の屍に着用された金縷玉衣(きんるぎょくい),錯金博山炉(→博山炉),烏篆文銅壺,石人俑(→),朱雀灯,陶盆,金銀象眼銅壺,提梁ゆう(酒器の一種),銅壺,文房具があり,から代にわたる全国十数省出土の発掘品が収蔵されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「故宮博物院」の意味・わかりやすい解説

故宮博物院
こきゅうはくぶついん

中国の代表的美術館。今日、同名のものが北京(ペキン)と台北(たいほく/タイペイ)にあるが、もとは一つで、1925年10月10日、北京の故宮、紫禁城(しきんじょう)の後半部に設けられたのに始まる。清(しん)の皇帝や皇后の住居であったところで故宮の名はこれによる。絵画、書籍、陶磁器、玉器(ぎょくき)、金銀器、漆器、染織服飾、文房具、家具、祭器など数十万点があった。故宮所蔵の文物はいわば中国民族の精神の結晶ともいうべきもので、明(みん)・清代に集められた。青銅器や玉器などのように古いものは殷(いん)・周(しゅう)の昔にまでさかのぼる。また瀋陽(しんよう)の故宮、熱河の行宮(こうきゅう)に所蔵されていた宝物は、紫禁城前半部にある文華殿、武英殿に移され、これに中央の太和殿、中和殿、保和殿の三大殿を加えて、古物陳列所として一般に公開した。

 1931年満州事変が起こり、戦火が北京に波及することを察した国民政府は、これらの重要美術品や書籍を約2万個に分けて梱包(こんぽう)し、まず上海(シャンハイ)に発送、ついで南京(ナンキン)に移したが、37年に戦争が南に広がったため、これをさらに四川(しせん/スーチョワン)省、貴州(きしゅう/コイチョウ)省など中国の奥地に疎開した。45年8月、戦争の終結によって、これらの文物はふたたび南京に戻されたが、やがて国共内戦の激化につれて、49年に数万点の宝物が台湾に運ばれ、65年11月、台北市に故宮博物院が成立し、所蔵品の一部を展示することとなった。所蔵品中の圧巻は多数の名画であって、范寛(はんかん)の『谿山(けいざん)行旅図』、趙孟頫(ちょうもうふ)の『鵲華(じゃくか)秋色図巻』、黄公望(こうこうぼう)の『富春山居図巻』、沈周(ちんしゅう)の『夜坐図』などがある。

 一方、北京の故宮博物院も1949年、人民政府の樹立以来、遺留された宝物のほかに新収のものを加えて規模も拡大している。明清工芸館、珍宝館、絵画館、陶瓷(とうじ)館、青銅器館に分かれており、また宮殿や門楼の一部を公開して特別展などが行われている。北京の収蔵品では、展子虔(てんしけん)の『遊春図』、張擇端(ちょうたくたん)の『清明上河図巻(せいめいじょうかずかん)』などが著名である。

[吉村 怜]

『樋口隆康編『世界の博物館21 故宮博物院』(1978・講談社)』


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百科事典マイペディア 「故宮博物院」の意味・わかりやすい解説

故宮博物院【こきゅうはくぶついん】

中国の博物館。現在は北京と台北に同名のものがある。起源は同じ。1924年10月馮玉祥の軍が北京に入城した時,宣統廃帝は紫禁城(故宮)後宮より脱出,政府は清室善後委員会を組織してその所蔵の書籍,書画,陶磁,玉,金銀工芸品,服飾,染織など数十万点を調査・分類して1925年10月より一般に公開した。これに先立ち1913年に奉天・熱河の行宮(あんぐう)にあった宝物は,古物陳列所として紫禁城前半部にある文華殿,武英殿において公開されていた。1931年満州事変が起こり,政府は陳列物を上海などに秘匿。1945年北京にもどったが,1949年国共内戦の際,数万点が台湾に移され,1965年台北の故宮博物院が成立した。北京のは1949年以来,各地の遺留品をも集め,以前よりも盛んとなった。
→関連項目台北天安門北京

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改訂新版 世界大百科事典 「故宮博物院」の意味・わかりやすい解説

故宮博物院 (こきゅうはくぶついん)
Gù gōng bó wù yuàn

北京にある博物館。1911年の辛亥革命によって清朝が倒れたのち,故宮の内廷は宣統廃帝溥儀(ふぎ)の居所となり,外朝には14年に古物陳列所が置かれた。24年馮玉祥(ふうぎよくしよう)が北京に入城し,身の危険を感じた溥儀が脱出したので,民国政府は清室善後委員会を組織して内廷を管理し,25年10月11日故宮博物院として一般に公開した。古物陳列所は,第2次大戦後に故宮博物院に併合された。この間多数の文物が流出し,有名な〈故宮宝盗事件〉も起こっているが真相はわからない。最近香港から買いもどされた《中秋帖》《伯遠帖》《五牛図》等の新収品を含めて,現在は91万余点の文物が収蔵されている。なお日本の侵略に備えて一部の文物は南京,武漢,上海等に移されてのち,49年4月以後は台湾にあって,〈故宮博物院〉の名称のまま保管されている。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「故宮博物院」の解説

故宮博物院(こきゅうはくぶついん)

明清両朝の皇宮である紫禁城をそのまま保存した大規模な博物館。中国歴代の秘宝が清朝皇帝に継承され,その多さは溥儀(ふぎ)に自分がどれだけ宝を持っているかわからないといわせるほどであった。1925年,博物館として公開されるが,日中戦争が始まると70万点に及ぶ文物は疎開先を転々としたのち,48年台北に移管,65年台湾故宮博物院に展示されるに至った。他方,中華人民共和国成立後,北京の方でも博物院を再建し,その建築群は世界文化遺産に指定された。

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世界遺産情報 「故宮博物院」の解説

故宮博物院

中国の北京市にある、世界最大で最も完全な姿で保存されている帝王の宮殿。明・清の二王朝に渡り帝王の起居として、また政を執り行う国の中心としての役割を果たしてきました。紫禁城とも呼ばれ、建造は明時代1406年から14年の歳月を要したといわれています。1925年から一般公開がゆるされ、故宮博物院へと改称。現在は100万余点もの貴重な文物が展示される博物館に。世界でも稀なほど膨大な収蔵品で知られ、1987年には世界文化遺産にも指定されています。

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世界大百科事典(旧版)内の故宮博物院の言及

【博物館】より

…清朝の乾隆帝(1736‐95)は多くの絵画,書蹟,陶磁器,染織品,工芸品を収集している。近代的博物館が生まれるのは辛亥革命(1911)によって清朝が倒れてからで,1914年,北京に古物陳列所が設けられ,25年には故宮博物院が公開された。国共両軍による内戦の最中,国民政府は48年多くの宝物を台湾に運び出した。…

※「故宮博物院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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