日本大百科全書(ニッポニカ) 「児島湾干拓地」の意味・わかりやすい解説
児島湾干拓地
こじまわんかんたくち
岡山県南部、瀬戸内海の児島湾に造成された干拓地。往時、岡山平野の南半は吉備(きび)の穴海(あなうみ)とよばれた海であったが、河川の堆積(たいせき)作用でしだいに陸化し、17世紀初期には児島と陸繋(りくけい)し半島化し、西が阿知潟(あちがた)、東が児島湾になった。児島湾には吉井川、旭(あさひ)川、笹ヶ瀬(ささがせ)川などが流入して干潟を発達させた。1679年(延宝7)岡山藩は約300ヘクタールを干拓し、江戸末期には興除新田(こうじょしんでん)が開発されたが、その間造成された新田は175新田、9200ヘクタールに達した。明治時代になって藤田組が大規模な干拓を行い、第二次世界大戦後は農林省(現、農林水産省)に引き継がれ、合計5617ヘクタールが干拓された。旧藤田村は資本主義的農業経営をした藤田農場であり、旧興除村は機械化農業発祥地で知られる。なお、児島湾干拓地は広義には江戸時代以降のものすべてを含めるが、通常は興除新田以降のものをさす。1959年(昭和34)児島湾締切堤防建設で児島湖が生まれ、日本最初の複式干拓が実現した。干拓地の農業経営規模は西南日本のなかでは広く、1農家の経営耕地面積は1.5~2ヘクタール。現在は大部分が岡山市、一部が玉野市に属し、ほとんどが兼業農家である。水田地帯であるが、玉野市と岡山市南区灘崎町にまたがる七区ではナスのハウス栽培が盛んで、ほかにも園芸農業が行われている。児島湾は魚類の豊富な浅海であったが、干拓や淡水湖化で狭隘(きょうあい)化した。農業公園「サウスヴィレッジ」がある。
[由比浜省吾]