日本大百科全書(ニッポニカ) 「興除」の意味・わかりやすい解説
興除
こうじょ
岡山市南区西部の地域。旧興除村。児島(こじま)湾の干拓による新田地域で、1823年(文政6)の興除新田のほか、内地(うちじ)干拓、付州(つけす)干拓、一番開墾、二番開墾からなった。興除新田は幕命による岡山藩営新田であるが、実際は大庄屋(おおじょうや)らの出資によって開発された。第二次世界大戦後の農地改革までは村外大地主の所有が多く、農民の間には作株(さくかぶ)と称する小作権(上地権)の物件化が行われていた。1910年(明治43)には畜力原動機の大車(おおぐるま)による揚水機などが用いられ、大正時代の石油発動機の開発、昭和になってトラクターの利用と、しだいに機械化が進み、日本農業機械化の先がけといわれた。現在は兼業農家が多く、一部では宅地化も進んでいる。従来、水田が基本であるが、かつてみられた麦やイグサ栽培は衰退し、部分的に施設園芸、野菜栽培、養鶏などが行われている。なお、興除という行政地名は消滅し、市役所の支所名や小・中学校名などに名を残しているにすぎない。
[由比浜省吾]