日本大百科全書(ニッポニカ) 「児玉誉士夫」の意味・わかりやすい解説
児玉誉士夫
こだまよしお
(1911―1984)
右翼運動家。福島県本宮(もとみや)町(現本宮市)に生まれ、極貧の少年時代を送った後、昭和初期に右翼運動に参加。三度の投獄ののち、1941年(昭和16)海軍航空本部嘱託となり、上海(シャンハイ)に「児玉機関」を設置し、物資調達、宣撫(せんぶ)工作に従事した。戦後A級戦犯に指定されるが、1948年釈放。児玉機関の資産が保守党再建の資金として使われ、これを機に保守党と深い関係をもつ。青年思想研究会を主宰するなど右翼の重鎮として政財界に強い影響力を保持。1969年ロッキード社の秘密代理人となり、エアバス選定に暗躍したが、1976年発覚。脱税容疑で起訴され、1981年には懲役3年6月の求刑を受けたが、病気のため判決は無期延期となり、昭和59年1月死亡。公訴棄却となって判決は言い渡されなかった。
[伊藤 悟]