現在も帝国石油八橋鉱業所が建つが、かつて水田中に林立した石油櫓は、石油資源の枯渇とともに姿を消した。
「梅津政景日記」寛永八年(一六三一)一〇月一〇日条に「
石油開発を最初に手がけたのは、久保田
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
JR秋田駅の西方約3kmの秋田市八橋を中心として北は同市外旭川,南は同市新屋にいたる南北約15km,幅約500mの細長い形をした集油面積3.38km2の油田。日本国内で発見された最大の油田である。油田構造は,第三紀の中新世から鮮新世にわたる地層が西急東緩の背斜構造をなしており,この第三系を第四紀の砂礫層が不整合におおう。石油はこの背斜の頂部に集積しており背斜トラップである。油層は深度350~1750mの範囲に十数層あり有効層厚は126m,これを構成する岩石は砂岩や凝灰岩である。この油田の開発は1933年日本鉱業(株)が第四紀層中に賦存する油層を発見したのに始まる。その後35年に,日本鉱業の雄物川C4号井と日本石油(株)の八橋C1号井がともに深度約200mで日産原油180kl以上という成功をおさめ,本格的に第三紀層中の油層が開発されるようになった。41年に帝国石油(株)に油田の開発が統合されて深部層の開発が行われ現在にいたっている。1935年から61年まで日本国内では最も生産量の多い油田であったが,1959年の年産29万4000klを最高の生産量として以後減退に向かい,86年末までの累計生産量は油533万kl,ガス12億m3。総可採鉱量は630万klと見積もられている。原油の比重は0.839~0.893で,パラフィン系炭化水素とナフテン系炭化水素を含む混合基の原油である。
執筆者:小松 直幹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
秋田市西部、旧雄物(おもの)川東岸一帯に分布する油田。支流草生津川(くそうづがわ)沿いの南北13キロメートル、幅約500メートルの地域。江戸時代末期、秋田藩の御用油商人千蒲善五郎(ちがまぜんごろう)が石油開発したことに始まる。1902年(明治35)に県と地元資本による秋田石油調査会の設立を経て、本格的な開発は、1932年(昭和7)の試掘に始まり、1935年に深度206メートルで突如大噴油した。1959~1960年に最盛期を迎え、日産で原油が約800キロリットル、天然ガスが48万立方メートルと全国一であったが、以後急速に衰退した。水田に林立していた石油櫓(やぐら)もほとんど消滅したが、2014年段階稼動中。
[柘植敏朗]
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