公的扶助(読み)コウテキフジョ(英語表記)public assistance

デジタル大辞泉 「公的扶助」の意味・読み・例文・類語

こうてき‐ふじょ【公的扶助】

生活困窮者に対し、国または地方公共団体最低限度の生活を保障するために経済的援助を行う制度。

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精選版 日本国語大辞典 「公的扶助」の意味・読み・例文・類語

こうてき‐ふじょ【公的扶助】

  1. 〘 名詞 〙 国が国民の最低限度の生活を保障するため、生活に困窮する国民に対し保護または援助を行なうこと。
    1. [初出の実例]「公的扶助や老後保障という従来の考えから」(出典:現代経済を考える(1973)〈伊東光晴〉IV )

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改訂新版 世界大百科事典 「公的扶助」の意味・わかりやすい解説

公的扶助 (こうてきふじょ)
public assistance

社会保障とくに所得保障の部門の一つであり,社会保険に対しての補助的手段である。社会保険は,そのおもな財源を被保険者や雇用主の拠出する掛金に求め,保険の形式をとって困窮の度合を問わず画一的に給付される。一方,公的扶助は,その財源を国や地方自治体など公的財源すなわち一般的な租税に求め,救貧の最後の安全網として,困窮の度合に応じ,厳格な資力調査means testを伴って個別に給付される。公的扶助を資本主義社会において整備された社会保障体系の一環として厳格に解すれば,以上のようになるが,公的扶助を文字どおりに解するならば,範囲を拡大して,日本の老人福祉法などの福祉立法,戦傷病者戦没者遺族等援護法などの戦争犠牲者関係の各種援護法,結核予防法などの保健衛生関係立法,あるいは就学・就職などの奨励・促進などに関する立法,さらに広くは各種料金についての減免措置などにさえも,公的扶助の面があるといってよい。また歴史的に公的扶助を見るならば,資本主義時代の初期において,その発展に伴い大量に発生する困窮者をはじめとして社会問題が簇生(そうせい)し,これに対して国家責任によりその救済,解決に当たらねばならない事態が生じてきた。イギリスの1601年エリザベス救貧法は全国的に制度化された公的扶助の嚆矢(こうし)であるといってよく,救貧制度として幾度かの改正を経て,1948年国民扶助法に至り,前述の狭義の公的扶助が確立した,といってよい。日本についていえば,1874年恤救規則から1929年(施行は1932)の救護法を経て,戦後の生活保護法に至る過程である。

 公的扶助という用語が日本に定着したのは,第2次大戦後の占領軍公衆衛生福祉局の使用による。その福祉関係文書の分類の一つにpublic assistanceがあり,日本政府でははじめ公衆保護,社会救済等と邦訳していたが,しだいに公的扶助というやや生硬な語で流通するようになった。アメリカではすでに一般化していたが,占領軍はその日本への導入に努力を払った。注目すべきは1946年5月18日の局内覚書であり,ここで公的扶助の解釈・理解の統一が図られている。そこではまず,救護に関する日本の封建的な血縁的・地縁的相互扶助から脱却すべきことを説いている。さらに,公的扶助を定義して,政府機関が全市民に代わって,社会事情のため衣食住や医療のニーズをまかなえない者に給付をする民主的政府の措置であるとし,その政策,基準,手続はすべて民主主義原則に矛盾することなく運用されるべきであるとしており,民主主義における国家責任と国民の受給権を打ち出している。疾病,失業などで経済的自立に達しえない者も,市民として人間として自立者と同様な権利を有するとされ,無差別平等,最低生活保障,不服申立てなどが説かれている。政府機関はニーズを測定し,与えられる扶助額を決定する基準をもたねばならず,扶助は現金補助の形で給付されるが,食糧,住居,燃料,衣類,医療などは現物給付でもよい。また基準は,自由裁量によりその範囲内で可能な給付を行いうる。さらに基準には,生計費の地域差・季節差などが考慮されるべきである。また基準には,見苦しくない生活がそれ以下ではできない生計費の最低基準と,それ以上は政府が提供しうる見とおしの立たない最大限度の基準とが必要である。そしてこの覚書の末尾に,この新しい概念・原則の受入れについて,立法や市民への宣伝キャンペーンの必要性を挙げている。

 以上が占領軍の意図した公的扶助の骨子である。もとより日本政府はこれを鵜呑みにしたわけではない。たとえば自立助長,補足性,世帯単位,申請保護などの諸原理・原則その他,独自の見解を発展させて,46年の旧生活保護法,50年の新生活保護法が成立している。元来このような厳密な意味での制度としての公的扶助は,資本主義の一定の発達段階で整備されるべきものである。すでにアメリカでは,時・所に応じ制度化されていたが,1935年社会保障法成立によって,社会保険と並んで全国的な公的扶助制度として,老人,盲人,母子など諸範疇の州営扶助が設けられた。ただ社会保障体系としては,むしろILOの《社会保障への途》(1942)とかイギリスのベバリッジ報告(1942)などにおいて詳しく論議されており,このころに概念が確立されたといってよい。もっとも前者では社会扶助social assistance,後者では国民扶助national assistanceの語を用いている。なお最近になって日本では社会扶助(上述のILOの用語と異なる)の概念も,用いられるようになってきた。厳格な資力調査を要件とせず,たとえば所得調査などにより,また厳しく個々のニーズに対応させない公的給付の制度である。たとえば児童手当国民年金法の福祉年金,老人無料医療給付などで,前述の本来の公的扶助ほど制限が厳格でない。近年このような制度が増加する方向にあるといってよい。
生活保護
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「公的扶助」の意味・わかりやすい解説

公的扶助
こうてきふじょ
public assistance

貧困に陥った人々に対し、国と地方自治体が最低限度の生活を保障する制度。公的扶助という用語が法的に定着をみるのは、1929年イギリスで、地方自治改正法によって、それまでの救貧法を運営する機関が、「公的扶助委員会」として成立してからである。続いて1935年、公的扶助を中心とするアメリカの社会保障法が成立した。こうして普及してきた公的扶助は、社会保障制度成立期に、社会保険とともに車の両輪の一つとして位置づけられた。つまり、かつての救貧法とは違って、生存権思想を中心にして扶助の公的(主として自治体)責任を明らかにしたものである。しかし、生活困窮者のニード(要保護性)確認のための資産調査means test(扶養義務、資産活用、他法・他施策活用、最低生活費の維持、収入認定)を伴っていたので、1935年当時のイギリスの失業反対闘争や多くの労働運動関係者は、資産調査がプライバシーの侵害となり、人権保障にはならない制度であると反対した。レーニン型の社会保障理念(1917)では公的扶助プランはなく、1953年に採択された世界労働組合連盟の「社会保障ウィーン綱領」や、61年の世界労連第5回大会(モスクワ)決定の「社会保障憲章」では、「社会保障が適用されない分野の人々のために、公的扶助制度がある所では、どこでもこのような制度を漸次社会保障制度に取り替えてゆかねばならない」(社会保障の原則4)と述べられている。

 その意味では、公的扶助制度の基本矛盾は権利性の保障と資産調査であり、今後は社会扶助(社会的消費ファンド形成への一形態)へと変化していくものと思われる。事実、イギリスのビバリッジ計画での公的扶助制度のプランは、国家責任による「国家扶助」として、社会保険を中心にした社会保障制度の未成熟ゆえに、また、社会保険などの画一的行政になじまない特別なニードに対して残余の制度としてやむをえないものとされ、だんだん減少していくものと考えられていた。しかし、第二次世界大戦後に、家族手当法、国民保健サービス法などによる社会扶助制度の拡大がイギリスで行われたが、1950年のヨーロッパ復興計画(マーシャル・プラン)による軍備拡大は社会保障費の削減をもたらした。そもそも成立時より国家扶助法基準額が国民保険法に基づく老齢年金額よりも家賃分だけ高くなっており、拠出した者が拠出しない者より給付額が低いという珍現象が生じた。1960年にこれを克服する意味で企業年金の導入を図り、66年には社会保障省成立により、国家扶助法の扶助名を補助年金、補助給付と名称変更し、本来は受給しうるのに扶助イメージを嫌ってがまんしている老人たち(約3分の2)に、国家扶助受給の促進を図ろうとした。しかし、国家扶助給付金よりも拠出年金のほうが高いという正常な給付額は未達成である。日本でも同じであり、とくに最低賃金制が実質上の機能を果たしていないので逆現象となり、ますます公的扶助受給者は増加し続けている。それが今日の第三次(ある人は第四次とも)保護引締め政策の理由にもされている。

 公的扶助制度が権利性強化へと向かって社会扶助化するのか、逆に資産調査が強化されて救貧法化されるのかは、ひとえに国民ひとりひとりの生存権意識の形成にかかっている。

[白沢久一]

『小倉襄二著『公的扶助』(ミネルヴァ書房・社会事業新書)』『籠山京著『公的扶助論』(1978・光生館)』『白沢久一著『公的扶助労働の基礎理論』(1982・勁草書房)』

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百科事典マイペディア 「公的扶助」の意味・わかりやすい解説

公的扶助【こうてきふじょ】

最低生活を維持するに足る資産,能力,所得がなく,また他の社会保障制度でも最低生活需要を支弁できない場合の公費による生活保障制度。現在日本では生活保護法がその一般法である。
→関連項目資産調査生活保護制度扶養義務

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「公的扶助」の意味・わかりやすい解説

公的扶助
こうてきふじょ

健康で文化的な最低限度の生活を維持しえない生活困窮者に対して,国家がその責任において行う扶助制度。その財源はもっぱら税金その他国および地方公共団体の一般収入によってまかなわれ,受給権者に醵出義務はない。ただ法定の最低生活水準に達していないことが給付の要件とされているため,それを確かめるために資産調査 (ミーンズ・テスト) が行われる。日本の公的扶助に関する立法としては生活保護法があげられる。

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世界大百科事典(旧版)内の公的扶助の言及

【社会保障】より

…(〈S.J.ウェッブ〉の項参照)彼女らは救貧法とそれを支えてきた行政組織の解体を提案し,貧困者への抑圧に代えて貧困予防の重要性を強調した。第1次大戦後にこの考え方がしだいに具体化され,1929年に公的扶助委員会の設置が法定されることによって救貧法原則は実質的に廃止された。扶助は極貧者だけではなく,生活上のニーズを充足する手段を欠いた貧困者に対しても法定の権利として給付されるようになった。…

※「公的扶助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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