ベバリッジ報告(読み)ベバリッジほうこく(その他表記)Beveridge Report

改訂新版 世界大百科事典 「ベバリッジ報告」の意味・わかりやすい解説

ベバリッジ報告 (ベバリッジほうこく)
Beveridge Report

イギリスで1941年6月に創設された〈社会保険および関連サービス各省連絡委員会〉(委員長W.H. ベバリッジ)が翌年11月に提出した報告書。ビバリッジ報告ともいう。正式名は《社会保険および関連サービスSocial Insurance and Allied Services,Reported by William Beveridge》である。上記委員会の任務はもともと社会保障制度としての整合性を欠いていた当時のイギリスの諸制度を再点検し,その相互関係を明らかにして改善策を勧告することにあった。ところがベバリッジは社会保障のモデルといわれる基本計画を明らかにした。彼は,現代社会において社会進歩をはばんでいる大問題として窮乏疾病,無知,陋隘(ろうあい),失業をあげ,これを5大巨人とよんでいるが,社会保障はこのうち窮乏の解消を目ざすものであるとする。窮乏の原因は失業,疾病,老齢死亡等による稼得の中断喪失と特別な出費にある。これに対処するために,(1)基本的ニーズ充足のための社会保険と,(2)特別な緊急のニーズ充足のために国民扶助とを提案し,(3)これを超える個々人の個別的なニーズは自発的貯蓄によるべきであるとした。ベバリッジ計画の中核をなしているのは報告書の表題からも明らかなように社会保険であるが,これについて,(1)対象者は強制加入させ均一給付・均一拠出を適用する均一平等主義,(2)ナショナル・ミニマムの給付を権利として資力調査なしに行う普遍主義的ナショナル・ミニマムの原則,(3)労働者だけでなく全国民を適用者とする包括主義の三つを基本原則としている。また社会保障による窮乏解消の機能を高めるための前提条件として,(1)完全雇用の維持,(2)包括的な保健医療サービス制度の確立,(3)均一給付の原則では対応できない世帯ニーズにこたえる児童手当の確立をあげている。

 ベバリッジ計画は,最低生活水準すなわちナショナル・ミニマムを資力調査なしに権利として給付するという原則によって生存権をはじめて社会保障にとり入れ,資力調査による差別感や恥辱感を受給に対する当然の代償としてきた救貧法思想を根本的に転換させた。また,適用者の範囲を賃金労働者に限定するというそれまでの考え方に対抗し,全国民にまで拡大する包括主義をとったことも画期的であった。

 この2点でベバリッジ報告は戦後世界での社会保障の指導原理となった。しかし均一平等主義は拠出水準が低所得者の負担能力によって限定されるので給付水準の上昇を抑制したため,イギリスでもこの原則をはなれ,しだいに所得比例型に移っている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベバリッジ報告」の意味・わかりやすい解説

ベバリッジ報告
ベバリッジほうこく
Beveridge Report

イギリスの社会保障制度に関する報告書。正式名称『社会保険および関連サービス』Social Insurance and Allied Services。報告書をとりまとめた経済学者ウィリアム・ヘンリー・ベバリッジの名前からこう呼ばれる。ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル首相の委託により,1942年に発表。貧困の解消を主眼として,基本的な社会生活を充足させるための社会保険と,緊急事態に対処するための国家扶助を二大テーマに掲げている。社会保険については原則として,均一負担と均一給付の平等主義,最低限の国民生活の保障,全国民を保障の対象とすることがうたわれた。第2次世界大戦後のイギリスにおける「揺籃から墓場まで」といわれる社会保障制度の基礎となった。

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世界大百科事典(旧版)内のベバリッジ報告の言及

【イギリス】より

…1949年に断行された大幅なポンド切下げ(対米4.03ドルから2.80ドルに)の効果と翌年勃発した朝鮮戦争の影響をうけて,輸出は伸び生産は活況を呈したので,統制経済はしだいに緩和され,イギリス経済は平時の状態に帰ったのである。この時期の労働党政府の経済政策で注目すべきは,一つはベバリッジ報告の線にそう広範な社会保障計画と完全雇用維持政策によって,高度の福祉国家の建設を目指したことである。第1次大戦前からイギリスでは健康・失業保険,老齢年金,最低賃金など,ある程度の社会保障が実施されてきた。…

【社会保険】より

… 社会保険の発展過程において,保険事故の範囲がしだいに拡大されていったことは上述のとおりであるが,同時に適用人口や適用産業の範囲も労働者から職員へ,鉱工業や商業から全産業へと広げられ,受給資格者も被用者本人だけでなくその家族を含むに至った。第2次世界大戦中の42年イギリスで公にされたベバリッジ報告は,戦後実現されるべき社会保障計画を具体的に提案したが,この計画の中心にすべての国民とすべての保険事故を対象とする普遍的な社会保険をすえた。これを公的扶助と任意保険で補足し,家族手当,包括的保健サービス,完全雇用政策によって支えるというのがベバリッジの構想であった。…

【社会保障】より

…社会保障という用語がはじめて公的に用いられたのは,ニューディール政策の一環としてアメリカで成立した社会保障法Social Security Act(1935)においてであり,ニュージーランドの社会保障法(1938)がこれに次いでいる。しかし,社会保障が生存権にもとづく生活保障の包括的な制度として具体化されたのは第2次大戦後のことであるが,このような制度の展開に決定的な影響を与えたのは1942年のベバリッジ報告である。同じ年に,ILO(国際労働機関)が《社会保障への道》と題する報告書を発表し現代的な社会保障制度への道を示し国際的な啓蒙にのり出したこともまた注目されなければならない。…

【資力調査】より

…日本では児童手当や福祉年金の類その他にみられる。 イギリスでは,1942年に出されたベバリッジ報告が,当時の無拠出年金,補足年金,扶助給付に対して別々の行政機関が別々の資力調査を行っていたのを批判し,これらを統一して単一の機関が統一化された諸原則によって行うべきだと提唱した。現在のイギリスでは,比較的廉価で必要な人々に端的に福祉を充用しうるとして資力調査を支持する保守派と,選択性を普遍性にかえ,権利獲得のために資力調査を軽減,廃止の方向に進めるべきであるとする進歩派とが対立している。…

【ナショナル・ミニマム】より

…労働組合運動と共済組合活動にゆだねられていた労働者の生活保障問題について,彼らは一定の条件以下ではいかなる産業も経営されることが許されないようなルールを策定することの必要を主張し,衛生と安全,余暇と賃金に関する法律によってナショナル・ミニマムを確保することを企図していた。福祉国家イギリスを形成する重要な契機となった1942年のベバリッジ報告の基本理念もまたナショナル・ミニマム論に拠っていたが,ベバリッジの構想する社会保障制度におけるこの概念は,B.S.ラウントリーによって作成された最低生計費の水準に基づく所得保障を意味するものであった。すなわち,イギリスの社会福祉政策の基礎にあるナショナル・ミニマム概念は,ウェッブ夫妻においては,賃金,労働時間,住宅,公衆衛生,教育,環境などにわたるきわめて包括的なものであったのに対して,ベバリッジ報告においては,最低限の生存費を意味するものへとニュアンスを変えてきており,今日では一般に後者の観点から国民の最低限度の生活保障を論じる場合に用いられる概念となっている。…

【福祉国家】より

…しかしこの用語を文書の中に初めて載せたのは,イギリスのヨークの大主教W.テンプルである。彼はその著《市民と教会員》(1941)の中で,国家は一般市民の福祉向上のために存在するものであると規定したが,〈ベバリッジ報告〉(1942)にこの用語が用いられてからイギリスで広く用いられ,ファシズムに対するイギリスならびに連合国の戦争目的を明らかにし,国民の戦意高揚にも大きな役割を果たした。ベバリッジ自身は福祉国家よりも社会サービス国家social‐service stateという用語のほうを愛好したといわれるが,これが戦後アメリカに浸透しはじめたころには自由放任か一般福祉国家かという文脈で受け入れられ,あるいは批判された。…

※「ベバリッジ報告」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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