改訂新版 世界大百科事典 「朝用分」の意味・わかりやすい解説
朝用分 (ちょうようぶん)
南北朝内乱期に南朝の課した臨時の公事。みずからの財政や軍勢の兵粮などのために南朝方寺社本所領を対象にしたもの。室町幕府の兵粮料所(半済)と近似した政策である。南朝正平年間の初期(1348ころ)から弘和年間(1383ころ)までの政策と思われる。半済が年貢の半分であったのに対し,3分の1の徴収であった。河内観心寺領同国小高瀬荘は朝用分料所になっていたが,1359年(正平14・延文4)返付された。その手続は,観心寺の要請,右大将中院通冬の御教書,朝用分給人と思われる某正幸の承認請文を経て,後村上天皇綸旨,一品宮令旨の同日発布によって完了している。南朝方軍事力にもなっていた観心寺は,逆に和泉国御酢免3分の1の朝用分を預け置かれることもあった。朝用分設定の範囲は,当然のことながら南朝方勢力の存在する河内,和泉,大和,紀伊など畿内および近国に限られていた。
執筆者:田沼 睦
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