内外学生センター(読み)ナイガイガクセイセンター

デジタル大辞泉 「内外学生センター」の意味・読み・例文・類語

ないがい‐がくせいセンター〔ナイグワイ‐〕【内外学生センター】

学生交流会館・学生寮の運営、アルバイト斡旋、就職情報の提供、支援基金などの事業を行った財団法人。昭和20年(1945)、動員学徒援護会として設立勤労学徒援護会学徒援護会を経て平成元年(1989)、内外学生センターとなる。平成16年(2004)、日本育英会日本国際教育協会国際学友会・関西国際学友会と業務を整理統合し、独立行政法人日本学生支援機構JASSO)および財団法人日本国際教育支援協会JEES)として改組

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内外学生センター」の意味・わかりやすい解説

内外学生センター
ないがいがくせいせんたー

国内外の学生を対象に、その援助・交流を目的とする財団法人。1947年(昭和22)設立の学徒援護会を前身とする。

 前身の学徒援護会は、第二次世界大戦末期の学徒の勤労動員強化にあわせて、その厚生援護の目的から「動員学徒援護事業要綱」に基づいて、1945年(昭和20)3月に文部省内に設立された任意団体「動員学徒援護会」を起源とする。同年7月に財団法人として「勤労学徒援護会」と名称を改めた直後終戦を迎え、47年に財団法人「学徒援護会」と名称を変更した。戦後の社会的・経済的混乱期に動員から戻った学生が学生生活継続の危機に直面したのに対し、国庫補助金による運営のもとに、アルバイト斡旋(あっせん)のための学生相談所を開設したり、全国主要都市に学生用宿舎として学生会館を開設するなど、事業内容を一新して援護事業を進めた。

 しかし、最多時に11館を数えた学生会館は、当時の学生自治運動と絡んだ管理運営上の問題から、1965年(昭和40)以降、東京を除いてすべて廃止する事態に至り、事業内容も時代状況と学生生活の変化に伴って新しい変化がみられた。たとえば、1962年からは会社案内の刊行による就職援助事業が開始され、76年には国公私立大学の正課中に不慮の災害事故で学生が傷害を負った場合の救済措置として「学生教育研究災害傷害保険」事業が開始された。さらに不特定多数の学生がセミナーや課外活動あるいは交流の場として共同利用できる施設として、研修室や宿泊室を備えた学生研修所が77年に京都、79年に広島で開設された。

 時代に即応した事業のなかで特徴的なものとして、国際化の進展に伴う留学生向けの援助、交流事業の拡充がある。すでに1988年(昭和63)から全国の学生相談所内に留学生相談コーナーが設けられたが、より積極的に外国人留学生向けの援助、交流事業を進めるため、89年(平成1)に名称を「学徒援護会」から現名称に改めた。従来の東京学生会館は、留学生も入館対象に加えた東京学生交流会館と改称したほか、全国各地にも新たに学生交流会館を開設し、外国人留学生に対する宿舎の提供・交流活動・就職情報提供などを積極的に進めている。従来の学生研修所も学生研修会館と改称され、学生相談所を包含して学生センターと総称している。2000年現在、東京本部を中心に全国12の支部が置かれ、全支部に学生相談所が設けられているほか、東京・仙台・金沢・大阪・福岡に学生交流会館、京都・広島に学生研修会館が設置されている。

[荒木 廣]

『内外学生センター編・刊『内外学生センター50年史』(1995)』

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