日本歴史地名大系 「出町遺跡」の解説
出町遺跡
でまちいせき
集落の規模は東西四五〇メートル・南北三〇〇メートルに及ぶ。時期的には縄文時代晩期を始まりとし、以後、弥生時代中期後葉、古墳時代前期、同後期初頭にわたり、平安時代末期を終りとし断続的に形成された。蛇行した幅一〇メートル前後のクリーク状の旧河道が数条、集落形成以前より存在し、およそ平安時代には埋没して湿地化したことが判明。旧黒橋川の本流についても幅約二五―三〇メートル、最深部で約二・五メートルの規模で、これはおおむね弥生時代中期頃の状況であることが出土遺物などから判明した。集落跡と旧黒橋川が最も接近する所で約一〇〇メートル。その間には弥生―古墳時代にわたる水田跡が旧黒橋川に沿って存在し、この水田跡中にも先述のクリーク状の旧河道が複雑に流れる。水田跡はこうした旧河道によって各微高地に分断されるが、自然地形を効果的に利用した灌漑を行っている。旧河道の各屈曲点に堰を設け、水量調整を図り各水田に導水するもので、堰から引かれた水は幅〇・七メートル、深さ〇・六メートルの幹川水路に連続し、各所に矢板による小規模な堰を設けて、より高地へ支川水路で連絡している。なお水田耕作面の高さが現在のそれとほぼ一致するため、弥生・古墳両時代の畦畔、あるいは耕土についてはとらえてはいない。集落の中心は縄文時代晩期におもに遺跡東方で、弥生時代中期も同じく東半に、古墳時代前期はほぼ全域に広がり、同後期初頭は明確でない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報